社会・政治
オンリーワンの男たち/安倍首相から福島まで撮る男、転機はパレスチナ
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2020.05.22 16:00 最終更新日:2020.07.23 21:29
「当時のパレスチナは、モスクの下にトンネルを通すというシャロン首相に抵抗して、世界中から抗議があり、政治活動家が集まっていた。毎日自爆テロが起きて、それをイスラエル軍が報復してって、めちゃくちゃだった。アラファトが軟禁されている場所に強引にバスで突っ込んでいこうとしたりして。本当に狂ってた。自分がそのバスを追いかけたら、上でピュンピュン音がするの。あ、撃たれてるって」
佐々木は、あっちでパレスチナ軍、こっちでイスラエル軍に尋問され、双方から弾き出され、最後は偶然知り合ったイギリス人建築家の家に居候となった。そんな佐々木に助け舟がきた。
「知り合いのカメラマンが『フジテレビにつないであげるから』と言ってくれて。その仕事で1日300ドルもらえることになった。これが初めて日本のメディアでお金をもらった仕事。そのうち共同通信の人から、写真だけじゃなく、文章も書くように言われた。おかげでホテルに移れたし、滞在中はフィルムも買えた。でも、日本に戻ればまた産廃の仕事なんだけど」
パレスチナの経験から、少しずつだが、自分は写真で食べていけるのではないかと思うようになった。
31歳のとき、佐々木は友人の紹介で、講談社のムック本で写真を探すアルバイトをした。そのとき、社内のレーザープリンターに目をつけた。
「すげー! これなんでも刷れるじゃん、って。自分の写真ばっかり印刷してた。インクは使い放題で、最高だった。休日まで使って、写真を刷りまくって廊下に並べてた。そうしたらある日、知らないおじさんが来て、『これ君が撮ったのか?』と。そうだとい言ったら『いい写真だね』って。後で聞いたらその人が編集長だった(笑)」
佐々木はその講談社のプリンターで心ゆくまで自分の写真を印刷し、それをいつも半透明の袋に入れて持ち歩いていた。それが不思議な運命へ導いてゆく。
「バイトの帰り、アメリカ人のスチュワート・アイセットという写真家のスライドショーを見にいったの。本人に話しかけたら、自分の半透明の袋をじっと見て、『それは君が撮ったのか、今は時間がないが、後日俺に見せろ』と」
スチュワート・アイセットは、現在も『タイムズ』『ウォールストリート・ジャーナル』などで活躍するフォトジャーナリストだ。
「会ったら自分の写真を見て『オレの後を引き継いでニューヨーク・タイムズで働いてみないか?』と」
驚いた佐々木は支局長に会う。しかしその後の音信はない。結局ダメだったとあきらめたころ、新しい支局長から「ぜひやってくれ」と話がきた。
「一発目の依頼が、NHK『プロジェクトX』の記事の写真。どうしようと思い、カメラを持って新橋の飲み屋街をブラブラしていたら、居酒屋のテレビで『プロジェクトX』が始まるのが見えた。『すいませーん!』って入って、ジョッキ片手に飲んでるおじさん達のバックに、テレビが入るアングルで撮った」
この写真は好評で、定期的にニューヨーク・タイムズで仕事をするようになった。その後も仕事は順調で、『クーリエ』は創刊からフォトエディターとして関わり、『VOUGE』『GQ』でも仕事をしたが、「こういう綺麗なのは自分はミスマッチ」と感じ、やめてしまう。
現在はヘラルド・トリビューンなど海外新聞の仕事をこなしつつ、冒頭で触れた『フォーブス』の表紙撮影で、日本・海外問わず、多くの著名人を撮っている。
「すごい人に共通してることを一つあげるなら、それはもう、謙虚な姿勢ってことだと思う。それと、相手が自分に対してどんな視線を浴びせているか、本当によく見てる」
佐々木は今日も福島へ、沖縄へ、自分のアンテナで飛び回っている。写真学校や美大に行ったわけでもなく、大物写真家のアシスタントを経験したわけでもない佐々木は、日本の写真業界では異例の存在だ。
「抱負? ないよ〜。もうこの歳(48歳)になると周りがどんどん死んでいくの。自分はいつでも人とつながっていけるように、自分のスピードを落としたい。何が起きているのかよく見るために。歳をとったら生産性がないなんていう風潮があるけど、そういう考え方にかきまわされないでいたいよね。それで、やっぱり人間を撮っていきたい。工事現場でもいろんな人に会うけど、彼らも有名人も、同じ線の上にいると思うから」
取材・文/岩崎桃子 浅草生まれのアートディレクター。高校時代からドキュメンタリー制作、モデルなどで活躍。コロンビア大学留学後、外資の金融機関で働く。海外写真家の仕事を手伝ううち、アートの世界にシフト。プロデューサーとして、写真集『edo』をドイツで出版した