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北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父・滋さんが死去
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2020.06.05 20:57 最終更新日:2020.06.05 20:58
13歳で北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親で、40年以上も娘の救出活動を続けてきた横田滋さんが、6月5日、老衰のため死去した。87歳だった。
横田さんは、1997年、拉致被害者の家族会が結成されると、会の代表に就任し、妻の早紀江さんとともに講演や署名活動に尽力。救出運動の象徴的存在になっていた。
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早紀江さんは、「北朝鮮に拉致されためぐみを取り戻すために、主人と二人で頑張ってきましたが、主人はめぐみに会えることなく力尽き、今は気持ちの整理がつかない状態です」とのコメントを発表した。
本誌は、2005年、夫妻に独占インタビューしている。そこでは、夫妻を北朝鮮に連れていくという、驚くべき指令があったことを初めて明かしている。
2001年10月15日、北朝鮮から、地村保志さん夫妻・蓮池薫さん夫妻・曽我ひとみさんの拉致被害者5人が帰国した。横田夫妻は、以後、頻繁に帰国者たちと面会している。
2004年8月、都内のホテルで横田夫妻と面会した帰国者の一人は、そのとき衝撃的な事実を2人に明かしたという。それは、「北朝鮮から帰国するとき、横田さん夫妻を訪朝させるよう指令を受けていた」との告白だった。
当時、早紀江さんが本誌にこう話していた。
「たしかに、指令を受けていたと聞きました。それを聞いて、めぐみの娘のヘギョンちゃんが、私たちに北朝鮮に来てほしいと何度も言っていたことを思い出しました。私たちを北朝鮮に呼んで、いったい何をするつもりだったのでしょうか」
このとき夫妻は、「めぐみさんは1994年まで自分たちと一緒にいた」との情報を聞いた。滋さんは、本誌にこう話している。
「北朝鮮は当初、めぐみは1993年3月に死亡したと言っていました。ところが、このとき初めて『1994年』という言葉が出てきたんです。しかも、めぐみが死亡したとされるピョンヤンの病院から、中朝国境に近い義州の病院に転院したというんです……」
北朝鮮からの情報は不確かで、夫妻は混乱するばかりだった。
解決が長引くなか、滋さんは、被害者の一刻も早い帰国を日本政府と北朝鮮に求め続けたが、残念ながらその思いは叶わなかった。夫妻がもっとも知りたいめぐみさんの生存情報は、最期まで知らされないままだった。