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知っておきたい、差別的な見解を正当化する「典型的な言い訳」

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2020.06.10 16:00 最終更新日:2020.06.10 16:00

知っておきたい、差別的な見解を正当化する「典型的な言い訳」

 

 次の文章は、東京都が2018年をしめきりとして行ったアイデア募集キャンペーン「IDEA for TOKYO」の広告物のひとつに書かれていたテキストです。2020年開催予定だった東京オリンピック・パラリンピックで、世界中からたくさんの人たちが東京を訪れるとされていました。そのとき、都市ボランティアができる新しいおもてなしとは何か? 「How to make smile in TOKYO」のアイデアを学生対象に募集したものです。

 

 大学の食堂で使われているトレイにも敷かれていたのですが、私はこれが生協食堂の壁に貼り出されているのを見て驚きました。学生さんと一緒に「これはないよなぁ」と話をし、キャンペーンを主催している団体へ抗議をしたのですが、この表現の何が問題なのかわかりますか?

 

 

《世界中の人が東京にやってくる!
僕らの“おもてなし”って何だろう。
どうしたらみんなが喜ぶだろう。
ふとした嬉しい心配り?
あっと驚かせるテクノロジー?
ワクワクするような楽しいイベント?
どんな人にも親切な仕組み?
新しい視点で。瑞々しい力で。考え抜こう。
「東京って最高!」って思わせる僕らのアイデアを!》

 

 問題となるのは、「僕らのおもてなし」「僕らのアイデア」という表現です。「僕」は男性が自分を表すときに使う代名詞。ボランティアをするのは男性だけではありません。また、このアイデアコンテストは応募者を男性に限定したものではないはずです。それなのに、どうして「僕」という表現を使うのか? しかも、よりによってオリンピック・パラリンピック大会に関連してのキャンペーンで、です。

 

 言葉は時代とともに、変わっていきます。消防士はfiremanではなく、firefighterになり、警察官policemanはpolice officerに。会社員businessmanはbusiness person、議長chairmanはchairpersonに改められました。また、女性の職業だとされていた客室乗務員stewardessは、flight attendantと呼ばれるようになります。

 

 黒人もいまはblack peopleよりもAfrican Americanを多用しますし、Merry Christmas!でさえ、ユダヤ教やアフリカ系アメリカ人などに配慮してHappy Holidays! に。私はアメリカでも特にリベラル色の強い、ボストンとサンフランシスコの近郊の大学街で短期間暮らしたので、こうした「政治的に正しい(politically correct)」用語法にとても敏感になりました。

 

 英語だけではありません。「保母」「看護婦」といった言葉は使われなくなり、「保育士」「看護師」という呼称が定着しました。

 

 1970年代までは女性の総称として「婦人」が使われていましたが、「既婚の女性を指す」「女がほうきを持っているのが字源」といった批判を受け、1980年代以降「女性」が使われるようになります。さらに行政では、1991年から「女性問題」という用語の代わりに、男性も含める意味あいから「男女共同参画」という言葉が使われるようになりました。いまどきジェンダーに関する問題を「婦人問題」などと表現したら、その表現の方が「問題」です。

 

 これらはすべて、言葉をめぐる政治だったのです。警察や消防や会社員に男性しかいなかった時代から、それらの職につく女性が増えていき、女性たちからその表現を変えようとする動きが生まれた。その結果として言葉が変わっていったのです。こうした流れも踏まえずに、安易に「僕ら」と掲げる。単に知識がないのでしょうが、あまりにも言葉に対して扱いが雑すぎます。女性はそもそも人口の半分で、マイノリティではないはずなのに、マイノリティに対する差別と同じ問題系になるというのは、深刻な事態だと思います。

 

 そこで、このIDEA for TOKYOの運営事務局(株式会社スケール内)に抗議したわけですが、次のようなメールが返ってきて、目を疑いました。

 

《この度は貴重なご意見を頂戴し、誠にありがとうございました。
ご覧頂きました学食トレーの告知は、対象である大学生、高校生、専門学校生に届くことをめざしました。
若者向けのヒット曲の歌詞にもいくつか見られますが、若い世代が「僕」という言葉を男性・女性の区別の意識なく受け止めているという側面に着目し、この言葉を採用した、という経緯になります。
ご指摘のような性差別的な意図や女性の応募を排除する意図はございませんでした。
また、制作にあたっても、複数の女性スタッフも携わり、当事者である大学生(男女)にも見てもらいながら進めるなどの配慮を致しました。
取り急ぎお問い合わせいただいた点につきご回答申し上げる次第です。
なお、頂きましたご意見に関しては今後の貴重な参考にさせて頂きます。
以上、ご確認の程、宜しくお願い申しあげます。》

 

 自信満々で「なんの問題もないですよ」といわんばかりの返答です。全然わかっていません。メールを読んだ瞬間に「あ~ぁ、やっちゃった」と思ってしまいました。この回答の問題点はどこでしょうか?

 

 いくつかあるのですが、まずひとつは、「若い世代が『僕』という言葉を男性・女性の区別の意識なく受け止めている」という箇所です。確かに、一人称として、「僕」を使う女性はいるのかもしれません。おっしゃる通り、若者向けの音楽の歌詞にも出てくるのでしょう。欅坂46の『不協和音』で「僕は嫌だ!」と叫ぶ箇所がありますが、あれの主語は男性のように思えます。

 

 いずれにせよ発話の際に、自分のことを「僕」という女性は圧倒的に少数であり、あえて「僕」を使う理由にはなりません。「若者向けのヒット曲の歌詞にもいくつか見られますが」というあたりは、「どうせ大学の先生だから知らないだろう」といいたいのでしょうが、ヒット曲の歌詞なんぞが問題なのではありません。「アタシ」という一人称を使う男性は、同性愛者などを含め一部はいるかもしれませんが、だからといって「アタシのおもてなし」ではまずいはずです。

 

 2つめ、「差別する意図はございませんでした」という言葉です。CMが炎上してしまった企業も、謝罪コメントとして、よくこうしたいい方をします。定番の表現ということもできますが、当たり前のことをいっているにすぎず、謝罪にはなりません。もしも、意図的に差別表現をしたのであれば、それはもはやヘイトスピーチです。犯罪的行為だといっていい。

 

 そして、3つめ。「複数の女性スタッフも携わり、当事者である大学生(男女)にも見てもらいながら進めるなどの配慮を致しました」という点です。こちらも、差別的な判断や見解を正当化するときに使われる典型的な言い訳で、「I Have Black Friends」論法などと呼ばれます。「自分には黒人の友達がいる」。だから、彼ら/彼女らのことはよく知っているし、自分は差別をするような人間ではない、と見せかけて自分の言動を正当化する論じ方です。

 

 この論法は人種差別だけでなく、性別や性的指向など、あらゆる差別に置き換えられて使われています。しかし、友達に当事者がいるからといって、差別意識がない証拠にはなりません。今回の件にしても、制作に女性スタッフが入っていて、彼女たちが反対していないからといって、「僕」という表現が差別的でないことの論拠にはならないのです。

 

 

 以上、瀬地山角氏の新刊『炎上CMでよみとくジェンダー論』(光文社新書)をもとに再構成しました。東大で人気講義を開く社会学者が、「CM」を切り口に語る、目から鱗のジェンダー論です。

 

■『炎上CMでよみとくジェンダー論』詳細はこちら

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