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【日本の潜水艦】(2)製造技術者は3カ月作業しないと免許失効の超厳格態勢

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2016.08.17 13:00 最終更新日:2016.08.23 15:40

【日本の潜水艦】(2)製造技術者は3カ月作業しないと免許失効の超厳格態勢

 

 北朝鮮が大型の核ミサイル潜水艦を建造するなど、現在、潜水艦は特に重要な兵器となっている。日本の潜水艦運用と製造現場の問題点を、防衛ジャーナリストの桜林美佐氏が追う。

 

 

 世界に誇れる日本の潜水艦を建造できるのは、国内に2社しかない。川崎重工業と三菱重工業だ。両造船所は神戸にある。

 

 両社は毎年交代で、船台が空いているほうの造船所が1隻ずつ受注してきたが、2009年から建造のサイクルが狂いはじめた。この年、予算がつかず、両社の船台が空くことになってしまったのだ。

 

 翌年、防衛省は1隻分の潜水艦建造費528億円を予算に盛り込み、川崎重工が約310億円で受注したが、両社とも2〜3年のブランクができてしまった。この空白期間の及ぼす影響について、海自OBは次のように語る。

 

「潜水艦の建造には特殊かつ高度な技術が必要で、特殊溶接技能者は最低でも5年間の育成プログラムを経て防衛省の技量資格を取得しなくてはなりません。この認定制度の壁は高く、3カ月間、作業に従事しなかった場合は資格が失効するのです。

 

 建造中断によって技術者たちは『無免許』となる。免許再取得のために多大な労力とコストを要することは、自衛官の間でもあまり知られていません」

 

 潜水艦は、まず船体を輪切りにして作業し、後で結合して造られる。水圧に耐える頑強な耐圧殻の中に、無数の電子機器や装置がギリギリいっぱいの高密度で積み込まれる。

 

 最も困難なのは溶接だ。非常に狭い、まるで土管の中のような空間に仰向けに入って作業する。直接見えない部分は鏡に映して作業をおこなう。当然、エアコンがあるわけではない。

 

 また、一度それぞれの防水区画が形成されると工程の後戻りはできない。機器を搬入できるのは狭いハッチのみとなるから、関係者は「自転車の車輪よりも大きい物は先に入れる」ことを肝に銘じている。

 

 こうした、精神的にも肉体的にも極限状態での潜水艦造りを総括する2人の技術者に、潜水艦建造が直面する問題点を聞いた。三菱重工業の潜水艦部部長は人生の大半を潜水艦建造に注いできたが、建造の空白以降はさまざまな心配事が増えたという。

 

「『隣に負けないぞ』と言い合い、2社で切磋琢磨して技術を磨いてきました。互いに刺激し合って世界に誇れる潜水艦を生み出してきたんですが

 

 しかし、ほかの装備品同様、潜水艦建造でも2010年度に競争入札となったことで、両社はライバル関係になってしまった。それ以降、技術向上のための情報交換もできなくなった。

 

 川崎重工業の潜水艦設計部長も、やはりキャリア30年以上。潜水艦ひと筋でやってきた技術者だ。

 

「設備も人材もほかへの転用はできません。下請け企業も同じで、潜水艦専門でやってきたところが多いからです」

 

 潜水艦1隻に約1400社が関わるといわれるが、技術の特殊性から民生品などほかの分野への転換は困難である。1年間仕事がない状況は、銀行のつなぎ融資でしのいだようだが、かつて私が訪ねたある工場では、「銀行からは、今回限りだと言われました」と肩を落とす姿があった。

 

 特殊な試験設備や特殊技能者の維持などで固定費はかかりつづける。固定経費の回収には7年ほどかかるということだった。

 

 撤退という苦渋の決断を余儀なくされた会社もある。福島県にあるA社は潜水艦の調理機器を手がけてきたが、撤退を決めた。

 

 同社は、燃料の液量計測システムで国内のみならずヨーロッパにもシェアを持ち、民需が比較的安定していたため、利益が少ない防衛部門もなんとか続けてきたが、東日本大震災で大きな被害を受けてしまった。

 

「あちこちの建物が壊れました。復旧に3000万円以上かかるダメージです」

 

 現場で社長が倒壊した建物をまわりながら説明してくれた。被災したことが撤退の直接の理由ではないが、ちょうど潜水艦の試験設備の更新時期が迫り、今後どうするか考えあぐねていたときに震災に襲われた。

 

 潜水艦の試験設備を更新するには億単位の費用がかかる。それまでは1966年製のものを騙し騙し使っていたという。調理機器といっても、どこにでも売っているような代物ではない。どんな厳しい環境にも耐える炊飯器やオーブンなどを作らねばならず、そのために特殊な試験設備がいくつも必要なのだ。

 

 そもそも、年に1隻の受注のために莫大な設備投資をするほど余裕がないと悩んでいたのに、1年の空白までできてしまった。地震という追い打ちがなかったとしても、撤退は常に想定されていた。

 

「いい会社が引き受けてくれればと思って……」

 

 普通に考えれば、そんなことをする必要はないのかもしれないが、同社は潜水艦事業をやめる際、後継会社探しに熱心に取り組んだ。防衛産業が利益を追求するだけの存在ならば、こんなことはしないだろう。

 

 事務所の中を見ると、なぜか自転車が2台置いてあるのに気がついた。

 

「あれですか? 震災直後にどうしても部品を納入しなければならず、納期遅延を起こしてはいけないからと神戸からこちらまで取りに来ていただいたんです。そのときに慰問品が入っていて……」

 

 神戸から福島へ、震災直後の悪路をやってきたのは三菱重工のトラックだった。荷台を見て驚いた。そこには当面、必要な水や食糧が入っていた。そこに自転車もあった。阪神・淡路大震災の経験から、いちばん欲しい物がわかっていたのだ。

 

 この日からA社では自転車を大事に事務所の中に置いているのだという。これが、下請けというレベルを超えた日本の防衛産業の強みなのだ。

 

(週刊FLASH 2013年10月1日号)

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