社会・政治
弁護士から国会議員へ…元榮太一郎が語る「選挙と政治」舞台裏
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2020.07.05 11:00 最終更新日:2020.07.05 11:00
6月30日に発表された2019年度の国会議員の所得ランキングで1位になったのが、参議院議員の元榮太一郎氏(44、自民党)だ。
弁護士資格をもつ元榮氏は、代表弁護士を務める「弁護士法人 法律事務所オーセンス(以下、オーセンス)」と、法律で困っているユーザーと弁護士をつなぐための法律相談サイト「弁護士ドットコム」をおもな事業とする、「弁護士ドットコム株式会社(以下、弁コム)」の創業経営者でもある。
2016年7月から参議院議員を務める元榮氏には、政治のキャリアをスタートさせたときから、まわりと違うユニークな点があった。
「同じ選挙で当選した、下は30代から上は60代までの “同期” の仲間が15人います。ほかはみんな、官僚・業界団体の重鎮・地方自治体の議員経験者・タレント枠など、“国政進出の典型パターン”。そして、ほぼ全員が党から声がかかって出馬をしています。
民間出身から、いきなり国会議員、そのうえ自分から『出たい』と申し出たのは、僕だけなんです(笑)」
元榮氏の政治の原点は約30年前。中学2年生のころ、父の転勤で移住したドイツにあった。
「1989年7月下旬から、父の転勤により家族でデュッセルドルフに住み始めました。その11月にベルリンの壁が崩壊し、壁のうえで民衆が声をあげている歴史的瞬間を、ドイツで見ていて。さらに翌年の春、通っていた現地日本人学校の修学旅行でベルリンを訪れ、西ベルリンから東ベルリンにバスで入りました。まだ、壁が完全に残っていたときのことです。
西ベルリンは、東京のように “きらびやかな都会” という感じだったのですが、東ベルリンに入った瞬間に、 “モノクロのさびれた町並み” が広がっていました。
清掃もままならない状態で、建物に生気がなく、とにかくすべてが漫画のような “世紀末感” であふれていて。『森鴎外が住んでいた』という、日本人にとっては歴史的価値のある宿も、壁が真っ黒になって、スラム化していたんです。
一番衝撃的だったのは、昼食のときに出された『アイスクリーム』。どう見ても、かき氷なんですよ。担任の先生が『東ベルリンは技術が進んでいなくて、これがアイスクリームなんだ』とおっしゃっていて。
『政治体制の違いだけで、街の姿にこんなにも影響が出るなんて……』と、政治が社会に与えるインパクトを実感しました」
その後、高校受験を機に日本に帰国。大学を卒業して、勤務弁護士を経て起業するあいだは、政治を志すことはなかった。ドイツでの体験が、“無意識の蓄積” として顔を出すのは、弁コムが転換期を迎えた2014年のことだ。
「僕は、『弁護士ドットコム』というwebサービスの提供を通じて、それまで “一見さんお断り” の業界慣習があった弁護士と、法律で困っている人とを繋げる場を作りました。その社会的価値が認められ、2014年12月に東証マザーズに上場することができた。
根底にあったのは、『社会を変えたい』という志です。上場が現実味を帯びてきてからは、『代替できない自分の役割ってなんだろう』ということを考えるようになりました。そして、ある結論にたどり着いたんです。
『次にやるべきなのは、社会のルールや枠組み自体を変えることではないか。そしてそれが出来るのは、政治なんじゃないか」
上場するにあたり、代表権のある僕ひとりに依存せず経営できるよう、決裁権を担当役員に分担させる、いわゆる『権限委譲』をすすめていましたので、物理的に政治活動をする環境条件は整っていました。
それで、2014年12月の上場を見届けたあと、かねて交流のあった現役国会議員の方にご相談して、出馬への準備を整え始めたんです」
2015年6月に選挙区の千葉で出馬会見をし、同年8月3日に自民党から2016年参院選の『候補予定者』として公認を受けた。そして元榮氏は、約1年間の活動を経て、2016年7月10日に当選を果たす。
「その1年は、政治のことを何も知らなかったイチ有権者として、『ひとりの候補が当選するのに、これだけ多くの人が関わり、本人も支援者も、こんなに大変なんだ』というのを、思い知っていく日々でした。
ベンチャー企業の創業者として、8期連続赤字の苦しい経営状況をはじめ、たくさんつらい局面を乗り越えてきました。でも、まったく未知の世界への挑戦だったこともあって、これがもっとも大変な体験でした」