大きく「月刊 河井克行」と銘打たれた冒頭の画像。これは、公職選挙法違反(買収)容疑で逮捕された前法相・河井克行容疑者(57)の、2014年6月の活動報告だ。当時、多いときは月2回もワシントンを訪問していた河井容疑者は、次代の “外交キーマン” への接近を狙っていた--。
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「11月の米国大統領選で、民主党候補のバイデン氏が勝利する可能性が高まっています。ですが、バイデン氏と強い信頼関係を持つ日本人は、ほとんどいないのが現状です。いま、在米日本大使館も次期大統領への “パイプ” を構築する準備に奔走しています」
そう語るのは、『インサイドライン』編集長の歳川隆雄氏(73)だ。6月中旬の世論調査では、激戦6州でジョー・バイデン氏(77)が、ドナルド・トランプ大統領(74)をリード。ペンシルバニア州をふくむ3州で10ポイント以上の差をつけられ、トランプ氏には厳しい情勢だ。
「バイデン氏が当選すれば、『これまで安倍首相はトランプ氏にすり寄りすぎていた』と、反発する可能性があります。もともと通商問題に関わってきたバイデン氏は、“対日強硬派” で知られています」(歳川氏)
そうなれば、安倍晋三首相(65)のみならず、日本にとっても苦しい展開となる。必要となるのは、バイデン政権の外交分野の “キーマン” への接近。河井容疑者が目をつけていたのは、そこだ。
冒頭の写真で河井容疑者の右隣に写るのは、ジェイク・サリバン氏(43)。このイェール大卒のエリートは現在、バイデン氏の政治顧問を務め、政権発足の際は大統領首席補佐官に就くとみられる。元・共同通信論説副委員長の春名幹男氏(73)が解説する。
「若いですが、かなりのやり手。オバマ政権では国務省政策企画局長として、イランとの核合意に先立つ秘密交渉にも関与しました。バイデン氏の副大統領在任中は、国家安全保障問題担当補佐官でした。河井氏は、民主党の “大物” 副大統領の腹心だったサリバン氏に目をつけたのでしょう」
政治家歴50年のバイデン氏の「大統領への野望」が始まったのは、1988年の大統領選のこと。当時、松下政経塾生だった河井容疑者も、同じく野心を抱き、米国を訪れていた。
「この年、河井氏はオハイオ州デイトン市行政管理予算局へ、国際行政研修生として出向。アトランタで民主党全国大会に、同党代議員たちと一緒に参加したのです。
でも、彼は『暇だ』と言って代議員の側を離れ、共同通信の取材ブースに来て電話番をしているだけで、呆れました」(春名氏)
河井容疑者は帰国後の1996年に、衆議院議員に初当選し、2012年の第二次安倍政権では、“在米経験” も生かせる「衆議院外務委員長」に就任。2015年から外交担当の首相補佐官を務め、2017年からは、「自民党総裁外交特別補佐」となった。
「外務委員長時代、河井氏は『首相特使』としてワシントンへ行くたびに必ず、オバマ政権の安保担当補佐官だったサリバン氏との面会を入れていた。
ただ、アポを入れるにしても『俺は総理の名代だから』と言って、向こうの日本大使館を強引に動かす。その悪評は、当時から自民党内でも目立っていた」(政治部デスク)
だが2016年の米国大統領選で、トランプ氏がまさかの勝利を果たしたときは、人脈づくりの目標を、共和党方面へ急転換。
「安倍首相の先遣隊として動き回り、トランプ陣営と親しくなった。大統領選直後の2016年11月、トランプタワーで開かれた安倍・トランプ会談の実現にもひと役買っていた。
一方で、民主党のサリバン氏とは、距離を置いていたと思います。“乗り換えた” んでしょう」
そう語るのは、前出の春名氏。河井容疑者は、とにかく「上へ、上へ」の鼻がよく利くようだ。
「その後の、安倍首相とフィリピンのドゥテルテ大統領の会談でも動き回っていた。河井氏には、政策的な議論をする能力はないが、人脈を築くことはできたようだ」(春名氏)
たしかに河井容疑者のホームページには、要人とのツーショットが、これでもかと並ぶ。
「日本の “総理側近” の肩書があれば、一応は会ってくれる。でも、それだけ。ワシントンでは、『日本からの客は、記念撮影だけすればいい』と皮肉られている。河井氏は、ただフットワークが軽いだけで、外務省も多すぎる渡米に眉をひそめていた」(歳川氏)
バイデン大統領が誕生すれば、河井容疑者の築いたサリバン氏とのパイプも、価値を持つはずだった。だが、“伝家の宝刀” を抜く機会は永遠に失われた--。
(週刊FLASH 2020年7月21日号)