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五島勉さん死去『ノストラダムスの大予言』外れたことをどう思っていた?

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2020.07.22 18:42 最終更新日:2020.07.22 19:01

五島勉さん死去『ノストラダムスの大予言』外れたことをどう思っていた?

 

 6月16日、誤嚥性肺炎のため死去した作家の五島勉さん(享年90)。「1999年7月に人類が滅亡する」とした『ノストラダムスの大予言』(1973年)は250万部の大ベストセラーとなり、社会現象を巻き起こした。

 

 本誌が五島さんを取材したのは、10年前の2010年4月。「ベストセラー作家のその後を追う」という特集記事のためだった。当時「取材はすべて断っている」とのことだったが、「ゆかりのある光文社だし、久しぶりに行ってみようか」とのことでインタビューが実現した。

 

 

――五島さんは光文社『女性自身』の記者だったそうですね。

 

「はい。創刊から13年間ほど、1960年代から1970年代にかけてですね。音羽(光文社の所在地)には久しぶりに来たけど、ずいぶん変わったね。

 

 私はもともと『トップ屋』なんですよ。それでスカウトされたような形でね。安保闘争の取材をしたり、皇太子妃の美智子さんを追いかけたり、ずいぶんやりました。宮内庁に大目玉を食らったこともありますよ。

 

 あの頃『女性自身』は大いに売れてね、会社も儲かったんです。会社が儲かると労働争議になりました。何冊か雑誌が出ないことがあったりね。そんなこともあり、会社がイヤになった人が何人かいて、飛び出した人が作ったのが祥伝社(『ノストラダムス~』の出版元)です。

 

 そこでいくつかプランを出したうちの一つが『ノストラダムス』です」

 

――その『ノストラダムス』が大ベストセラーに。どんな反響でしたか?

 

「すごかったですね。本は売れましたが、そのぶんバッシングもすごかったですよ。仕事ができないほどでした。こうまで言われて、やはり私の書いたことは間違いだったんじゃないか、ノストラダムスの予言は間違いなんじゃないか、そういう猜疑心も生まれて、ずいぶんと悩んだものです。

 

 しかし、いくら調べ直しても、やはりノストラダムスが嘘をついたとは思えなかったんです」

 

――しかし、社会不安を煽ることにはなってしまった。

 

「その点については、申し訳ない気持ちは大いにあります。ただし、私があの本で一番書きたかったこと、それは最終章の『残された望み』という部分です。これは警告なんですね。ノストラダムスの予言とは、聖書に書かれている預言を具体的に書いたものです。こういった大きなことが起きるから気をつけなさいと。

 

 だから私は最終章で警告し、備えさえできていれば大丈夫だと、しっかり書いているんです。

 

 しかしマスコミはその部分は取り上げてくれない。1999年7月に人類が滅亡すると、そこしか言わないんですね。私としては、とにかく人類が助かってほしい、みんな穏やかに暮らしていければいいと、そう思って書いたのです」

 

――1999年7月、実際には何も起きなかったわけですが。

 

「そうですね。しかし2001年9月11日には、同時多発テロという大事件が起き、世界は大きく変わってしまった。ノストラダムスが予言を書いたのは1555年ですから、これは誤差の範囲と考えていいのではないかと思います。実際にあの9・11のことをもとにノストラダムスの予言を見返していくと、辻褄の合う部分が多く出てきます。

 

――五島さんは『ノストラダムス』以降も次々と著作を出していますね。

 

「最近は弥勒の研究をしています。人間には予知能力があるんです。ノストラダムスだけではなくて。私にも、あなたにもありますよ。その能力は発現していないだけで、脳の研究が進めばもっと明らかになるのではないかと思います。私もね、人生は残り少ないですから、できることは今のうちに、と思っているんですよ」

 

――下世話な話ですが、印税はかなりの額になったんじゃないですか?

 

「『ノストラダムス』はシリーズ合わせて600万部売れたそうですから。とはいっても、私に実感はないんですよ。印税といっても新書ですから、大したものではないです。なんとか都内に戸建ての家を建てられたくらいです(笑)。

 

 今は大きな事件が次々と起きる大変な時代です。しかしそんなときでも人類に希望はある。常にそういう思いでやってきましたし、これからも書いていくつもりです」

 

 五島氏は当時80歳。最初は自宅でのインタビューを提案したが、わざわざ練馬の自宅から電車で来社した。かつて「サソリの勉」の異名を取った大先輩記者からは「週刊誌も今は大変でしょう。頑張ってください」と励ましの言葉をいただいた。もの柔らかな話しぶりと、穏やかな表情が印象的だった。

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