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【アメリカの殺人鬼に会いに行く(1)】「44口径キラー」デイビッド・バーコウィッツ

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2016.08.21 07:00 最終更新日:2016.08.23 15:37

 

――いったいどういう経緯で神に目覚めたの?

 

「逮捕後、正しく生きることができないでいる自分に、強い自己嫌悪を感じてね。自分なんか生きている価値があるのかと精神的に不安定な時期が続いて、自殺も考えたんだ。

 

 そんなとき、いつも舎房内に置いてあった聖書になんとなく目が行ってね。試しに読んでみて、ある夜、自分の房内の、廊下から見えない位置で神に救いを求めてみたんだ。

 

 そしたら、自分の目からなぜかわからないけど涙があふれてきてね。その瞬間から自分の心がすごく軽くなるのを感じたんだ」

 

 自分の最愛の養母を14歳で亡くしてから自暴自棄になったなど、彼の話はある程度信憑性があるように思われた。やはり、彼の幼少期の話をもう少し聞く必要がありそうだ。

 

――小さい頃はどんな感じだった?

 

「子供時代は、顔や性格が両親とまったく似てないし、体も近所の子と比べてかなり大きかったから、ずっと自分がどこにも属していないっていう意識が強くてね」

 

 生まれて2週間で養子に出されたバーコウィッツは、7歳のとき、「お前は養子で実母は死んだ」と養父母から告げられたという。

 

 バーコウィッツはなぜか「自分が母を殺した」と思い込み、その頃から、実の父が妻を殺された怒りで自分を殺しに来るという悪夢を何度も何度も見たという。

 

 私との手紙のやり取りでは、《社会に溶け込めないようにも感じていた。文字通り、暗い闇に引き込まれていたんだ。だから、よくベッドの下や物置の中に長いこと一人で閉じこもったりしていた》とも書いている。

 

――刑務所に長くいると、何が一番つらく感じる?

 

「思ったときに思った場所に行けないことかな。昔から、思い立ったらすぐに出かけていたからね。もしいま自分が刑務所にいなければ、日本に渡ってアイヌ民族に布教活動したいんだ」

 

 予定時間の30分ほど前になると、看守が部屋に入ってきた。すると、バーコウィッツは「日本の友人が帰るとき、受付で、僕が前書きを書いた新しい聖書を渡してほしいんだけど」と言った。看守はOKと言うと、バーコウィッツはニッコリと笑った。

 

 面会時間が終了し、「そろそろ時間みたいだ」と告げると、デイビッドは突然「僕と会ったことを君の生徒たちにも話すの?」と聞いてきた。私が「そうだね。アメリカに対する学生の関心が高まるかもしれないし」と答えると、非常に嬉しそうな顔を覗かせた。

 

 なぜバーコウィッツは、帰り際に「自分のことを話すのか」と聞いてきたのだろう。

 

 資料によれば、彼の養母は、バーコウィッツのことを周囲に過剰に見せびらかすような行動をとっていたという。養父母は、私たちにも子供ができたと社会的な体裁ばかりに目を向け、肝心のバーコウィッツに対する愛情や関心が欠落していた可能性がある。

 

 実の両親に捨てられ、養父母の愛情も得られなかったバーコウィッツは、周囲に自分の存在を強くアピールしてきたのではないか。

 

 そして、全米を震撼させる事件を起こすことで、世間から究極の関心を集めることに成功したからこそ、現在の彼が犯行前とまったく違う穏やかな顔をしているとも考えられる。

 

 でなければ、自分の前書きが書かれた聖書の話をするとき、私が授業で生徒に話すと言ったとき、ラジオ番組でのインタビューの話をするとき……自分のことを話すときの、バーコウィッツの心底嬉しそうな笑顔に説明がつかない。

 

 そういえば、私がバーコウィッツに別れの挨拶をすると、彼は「もうこれで僕らは親友だから、こちらに来たときはいつでも寄ってよ。僕はいつでもここにいるから」と満面の笑顔で言った。

 

 今まで会ったことがないほど第一印象がよかった男の笑顔は、単に強烈な自己顕示欲の裏返しだったのかもしれない――などと思いを巡らせながら、ケネディー空港に向かって車を走らせた。(2013年2月29日、訪問)

 


 

<著者プロフィール>
阿部憲仁
 
1964年、群馬県生まれ。茨城大学を卒業後、予備校講師をしながら留学を繰り返し、サンフランシスコ大学教育学部で博士課程修了。米大学で移民教育に従事後、全米のアメリカの凶悪犯たちとの直接のやり取りを通し、安全な家庭・社会のあり方を提言。国際社会病理学者。おもな著書に『アメリカ凶悪犯罪の専門家が明かす無差別殺人犯の正体』(学文社)ほか。
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