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矢野顕子が野口聡一に聞く「宇宙に行くとどんな感覚になりますか?」
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2020.09.23 16:00 最終更新日:2020.09.23 16:00
2020年2月中旬、新型コロナウイルス感染症(COVID‐19)が世界で猛威をふるう前、矢野顕子さんはアメリカ・テキサス州ヒューストンを訪問。3度目の宇宙飛行に向けてNASA(米国航空宇宙局)で訓練中の野口聡一宇宙飛行士と、丸2日間にわたって宇宙体験について語り合った。
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矢野 私はとにかく宇宙に行きたくて、いろいろな宇宙飛行士の本を読んだり、彼らのツイートをこまめにチェックしたりしているんです。宇宙からの地球の眺めが素晴らしいという描写はよく目にしますが、同時に、「Space is hard(宇宙は過酷だ)」という発言も見られます。
野口さんは船外活動のために宇宙船の外に出ることを、「三途の川を渡るようだ」と表現されていますよね。本で読んでとても印象に残っています。宇宙を飛んだ飛行士の中でも、船外活動を経験した宇宙飛行士はごく限られていますね。
宇宙船の中にいるのと、宇宙船の外で宇宙空間を肌で感じるのは、まったく質の異なる体験だと聞きます。実際に宇宙空間に出られて、どんな感覚があったのかについて、聞かせていただけますか?
野口 宇宙での感覚といえば、忘れられないのが、2005年の宇宙飛行で行った船外活動のときのことです。1996年に宇宙飛行士候補者に選ばれてから9年後、待ちに待った初飛行でした。しかも、2人一組で行う船外活動のリーダーという大役に抜擢されました。
その飛行は、2003年に7人の仲間が命を落としたスペースシャトル・コロンビア号の事故以来、2年半ぶりに宇宙に戻るという歴史的フライトでもありました。「Return to Flight」と呼ばれ、アメリカはもちろん、世界の注目を集めることになったんです。
失敗できない本番のために、僕は一緒に船外活動を行う相棒の宇宙飛行士とともに、約800時間もの地上訓練を重ねました。これは、当時の船外活動訓練の最長記録です。でも、無重力状態を模擬した水中の訓練を繰り返したにもかかわらず、現実の宇宙空間では予期していなかった感覚に襲われました。
矢野さんはよくご存じだと思いますが、国際宇宙ステーション(ISS)は、地球上空約400キロメートルを秒速約7.8キロメートルで飛行しています。これはライフル銃の弾丸の数倍もの超高速で、90分で地球を一周します。そのため45分おきに昼と夜が訪れます。
夜は地上のように徐々に暗くなるのではなく、一気に闇が襲ってくるようで、ものすごく怖い。真夏のビーチから急に真っ暗闇の洞窟に放り込まれたように、何も見えなくなるからです。まるで、闇に襲われるような感覚です。
もちろん、宇宙服のヘルメットには小さなヘッドランプがついています。「もうすぐ夜が来るぞ!」というときに点灯しますが、ライトが照らすのはごく狭い範囲ですし、目が暗闇に慣れるまでには時間がかかります。さらに、宇宙服のヘルメットの構造などの問題で、首の動きが制限されます。
元々、視野が限られ昼でもISSの外部構造がほとんど見えない状態なのに、そのわずかな視野さえも夜は奪われていく。つまり、目を閉じているのに近い状態になります。
夜になって驚いたのは、自分の足が曲がっているのか、伸びているのかがまったくわからなくなったことです。地上ではたとえ目を閉じていても、腕や足が伸びているか、曲がっているかはわかりますよね。それは筋肉が常に重力を感じているから。重力に抗って筋肉を動かせば、その情報が脳に届くためです。
一方、無重力状態では足を曲げても伸ばしても、重力がまったくかかりません。そのため足を動かしたという情報は脳に届きません。極端な話、腰から下がなくなったとしてもわからない。腕も同じです。身体感覚が一気に分断してしまったようで、とまどいました。
同じ無重力状態でも、ISSの中で照明をつけているときは、目で足や腕の位置を確認できるので、そんな感覚はありませんでした。しかし、特にISSの中で目を閉じたときや、船外活動中は自分の足が曲がっているのか、伸びているのかまったくわからない感覚が強くなります。これが無重力で本当に大変なことなんです。
船外活動の作業中に真っ暗になると、瞬間的にISSの構造もほとんど見えなくなり、身体感覚が失われて、自分の位置や姿勢もわかりにくくなります。巨大なISSの中で自分がどこにいるのか把握できないという事態が、起こりうるんですね。船外活動中に「僕、今どこにいるんだっけ?」という冗談のような会話が宇宙飛行士間で交わされることは、決して珍しくないんです。
「空間識失調」という言葉を聞いたことがありますか? 航空機が雲海や霧の中に突入した場合などに、パイロットが平衡感覚や方向感覚を失って、操縦不能に陥ることがあります。水平線や地平線が見えなくなったことで機体の姿勢がわからなくなり、雲海などの均質な景色のために奥行き情報が得られず、速度感覚がなくなって、操縦を誤ることがある現象です。過去の宇宙飛行士に対する調査では、宇宙長期滞在を経験した宇宙飛行士の38%が空間識失調を経験したというデータもあります。
夜間の船外活動中に方向感覚を失ってしまうのは、この空間識失調の一例です。そもそも、地球上で私たちは耳の中にある耳石などの器官で縦方向の基準軸を、眼からの視覚情報で縦横方向の広がりや奥行きといった三次元情報を得ています。自分のセンサーから得たこれら仮想の三次元情報を、重力方向という絶対的な軸に合わせることで、空間を認識しています。
ところが無重力状態では耳石センサーが働かず、視野も限られます。絶対的な重力の軸も存在しません。自分が意識する三次元情報と実際のISSのズレが大きくなったときに、方向感覚を失うわけです。
そんなときは、船外活動を共に行う宇宙飛行士の声がけが重要です。「右方向に5メートル進むとハッチ(出入り口)がある」とか「頭上30センチに次の手すりがある」など声をかけてもらうことで、脳の中で空間認識を再構築し、活動を再開することができるのです。
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以上、野口聡一氏と矢野顕子氏による新刊『宇宙に行くことは地球を知ること~「宇宙新時代」を生きる~』(取材・文/林公代、光文社新書)をもとに再構成しました。「誰もが宇宙に行ける時代」を迎えた今、2人が語る宇宙の奥深さと魅力とは?
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