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菅首相、25年前に味をしめた「人事介入」横浜市の職員が告発

社会・政治 投稿日:2020.10.16 06:00FLASH編集部

菅首相、25年前に味をしめた「人事介入」横浜市の職員が告発

9月21日、菅首相は横浜市西区にある小此木彦三郎氏の墓前に、首相就任を報告していた

 

「状況を把握した首相は、とっさに『まずいな』と、こぼしたそうです。10月3日からの週末に対応を協議して、『公務員の任免権は首相にある』で押し通す方針が決まりました」(政治部記者)

 

 10月1日に明らかになった、菅義偉首相(71)の「日本学術会議」任命拒否問題。従来は学術会議側からの推薦者を、そのまま会員に任命するのが慣例だったが、今回、首相は推薦された105名の学者から、6名を除外した。

 

 

「首相は官房長官時代から、形式上の任免権しかないことに疑問を感じていました。2017年の前回選考時は、学術会議側から定員より多い『予定者リスト』を受け取っていましたが、今回の『予定者リスト』は、定員ぴったりの人数。

 

 それに不快感を覚えて、首相の “最側近” である杉田和博官房副長官(79)が主導し、和泉洋人首相補佐官(67)と除外を実行したようです」(同前)

 

 だが、冒頭の首相の発言どおり、学会からは広く「学問の自由の侵害」と大反発が起きた。引くに引けない菅政権は、10月9日の会見で、河野太郎行革相(57)が「不透明な学術会議のあり方も行政改革の対象」との方針を示すなど、完全対立の様相となった。

 

「あとづけで行政改革の話にすり替えられましたが、今回の任命拒否は、総裁選で『反対する官僚は異動してもらう』と、首相が発言した延長線上にあるように見えます。官僚を押さえつけ、マスコミを手なずけ、今度は学者を従わせたいということでしょう」(政治ジャーナリスト・角谷浩一氏)

 

 今回の騒動を、「いかにも菅さんらしい」と見ていたのは、横浜市の幹部職員のA氏だ。菅首相が衆議院議員に初当選したのは、1996年のこと。それ以前は、横浜市議会議員だった。

 

「25年ほど前、菅さんは横浜市で “影の市長” と呼ばれていました。市職員人事への介入で、市政に絶大な影響力を持っていたからです」(A氏)

 

 菅首相が、“神奈川のドン” と呼ばれた故・小此木彦三郎元通産相の秘書として「政治の道」を歩み始めたのは、有名な話だ。

 

 秘書として10年以上仕えたあと、1987年に横浜市議会議員に初当選すると、当時の菅市議は、小此木事務所の “番頭” の位置に収まる。国政に出て、あまり地元にいない小此木氏に代わり、“ドンの名代” として、菅市議は市政にかかわっていたという。

 

「ある市職員が、小此木事務所からの陳情に、いい対応をしなかったことがありました。すると、その職員が課長に昇進する際、菅さんが市長に昇進理由をただしたんです。突然のことに、市長も『ドンに失礼があったのか……』と、その職員の昇進を一度見送りにしました。

 

 人事は “玉突き” ですから、ひとりの発令が遅れると市の業務が滞ってしまう。円滑に人事をおこないたい市は、それ以来『人事予定リスト』を、事前に菅さんへ提出するようになったんです」(同前)

 

 そうして発令の時期になると、「リスト」が菅市議の手元へ。1~2人を指差して「昇進理由は?」と菅市議がただす。指名された職員は “確認” が必要になるため、昇進は一度見送りに――。 1991年の小此木氏の死後も、「菅チェック」は、国政進出まで続いた。

 

「いくら菅さんでも、市の全職員の個々の仕事ぶりを把握するのは無理。でも、目についた数人にケチをつけるだけなら、簡単です。ひとりが外されると、ほかの全職員が萎縮して “ドミノ倒し” のように、菅さんに頭を下げるようになりました。

 

 次第に、役所内では据え置き人事があると、『あの人は菅さんから、“昇進NG” があったんだよ』と、非常に恐れられるようになりました」(同前)

 

 このときの経験で、人事掌握に味をしめたのだろう。
 安倍政権では、国税庁長官への昇格を果たした佐川宣寿元理財局長のような、「忖度官僚」への論功人事が問題視された。上から釣ったアベと、下まで落とすスガ――。じつは、菅首相のほうが、恐ろしいかもしれない。

 


(週刊FLASH 2020年10月27日号)

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