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菅首相、三男の妻は“反安倍”人脈「愛媛・松山市副市長」の娘
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2020.10.27 06:00 最終更新日:2020.10.27 06:00
“合理性” の思想家、ニコロ・マキャベリへの信奉を自著で綴る菅義偉首相(71)は、近親者からの要望に「仕方あるまい」と思ったのだろうか。「使えるものは、なんでも使え」はマキャベリズムでは当たり前だ。そのとき菅氏は、自分が仕える “君主” の脆弱さも、冷徹に見極めていた−−。
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大きな被害が出た「西日本豪雨」直後の2018年7月9日、愛媛県の中村時広知事(60)は首相官邸で、当時の安倍首相に要請を出した。
「前日まで豪雨に遭っていたなか、中村知事が急遽上京し、安倍氏との面会が決まったことは、驚きをもって迎えられました。なぜなら2人は、その3カ月前には敵対関係にありましたから」(政治部記者)
2018年4月、「加計学園」の獣医学部新設に、「安倍氏の意向が働いた」という疑惑が国会で追及されるなか、地元の中村知事が「首相秘書官が『首相案件』と述べた」と書かれた “決定的内容” の県職員のメモを公開したのだ。
「それ以降も中村知事は、真相の解明を求め続ける “反安倍” の急先鋒でした」(同前)
そんな状況下で実現した、中村知事と安倍首相との面会。広島県や岡山県も「西日本豪雨」で甚大な被害を受けていたが、官邸で首相と面会したのは、中村知事だけだった。
「この裏には、当時官房長官だった菅氏の存在がありました。知事も面会後、記者団に『菅氏に(首相との面会)時間を確保してもらった』と明かしました。
その知事と菅氏の間を橋渡ししたのが、松山市の梅岡伸一郎副市長(67)。というのも現在、梅岡副市長の娘は、菅首相の三男と結婚しているんです」(地元紙記者)
梅岡副市長は、松山市役所を退職後の2015年6月、野志克仁市長(53)から副市長に任命された。この野志市長の前に松山市長を務めていたのが中村知事で、野志市長は中村知事の直系の後継者にあたる。
「梅岡さんは、市職員時代に当時の中村市長の肝いり事業だった『「坂の上の雲」のまちづくり』をまかされました。いまや愛媛県と松山市に強力な “W統治体制” を敷く、中村知事の最側近です。『野志市長よりも力がある』と言う人もいるほどですよ」(県政関係者)
三男の結婚について菅首相の事務所に尋ねると、「家族のプライベートなことは、お答えしていません」と回答した。さらに安倍氏と中村知事の面会の橋渡しの経緯を確認すると、「面会の経緯は、事実ではありません」と回答があった。
愛媛県にも面会の経緯について確認すると、「ご質問の事実はありません」と回答した。松山市からは、回答がなかった。
言うまでもなく、被災地の県知事と首相の面会実現に骨を折ることは、政治家としておかしなことでは、まったくない。だが、菅首相の息子が地方都市の “名士の娘” と “良縁” を結んだ事実は、永田町でも、ほとんど知られていないのだ。
いつの間に、こんな “閨閥” を築き上げていたのか−−。
「安倍首相も、中村知事の訪問が菅氏経由で決まったことについて、非常に驚いていました。それと同時に、困惑もしたようです」(前出・政治部記者)
政治アナリストの伊藤惇夫氏は、次のように語る。
「当時、菅さんは梅岡副市長を通じて、加計学園問題を追及する中村知事の動きを、事前に知ることもできたはず。なのに、それを防がなかったとすれば、菅さんは早い段階で『もう安倍さんは、どうでもいい』と思っていたのかもしれません」
仕える “君主” の “仇敵” すら、貪欲に取り込んでいた−−。
(週刊FLASH 2020年11月10・17日号)