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今だから明かせる「清原和博とシャブ」熾烈な報道舞台裏

社会・政治 投稿日:2016.10.27 20:00FLASH編集部

今だから明かせる「清原和博とシャブ」熾烈な報道舞台裏

 

「いきなりのお手紙大変申し訳ありません。私は現在、東京拘置所に入所しています山田大輔(仮名)と申します。…」
 

 2015年夏、編集部に一通の手紙が届いた。差出人である山田氏といえば、清原和博(49)のタニマチとして、メディア界では名が通っていた人物だった。

 

 清原については、2014年3月、「週刊文春」が薬物使用疑惑を報じている。マスコミ各社は清原の覚醒剤使用について水面下で取材を続けていた。その矢先、清原について詳しい事情を知りうる人物からの手紙だ。

 

 山田氏は2015年2月、覚せい剤取締法違反で逮捕され、東京拘置所から手紙を出していた。そこには「清原との関係についてすべて話します」と書かれていたのだった。

 

 翌週の月曜日朝8時半。早速、東京拘置所に到着すると、面会者控室には誰もいない。面会は一日一人に限られている。おそらく、各メディアに同様の手紙を出していただろうが、本誌特別取材班の一員がトップで到着したことを物語っていた。

 

 そこから1年弱、取材班と山田氏との長いつき合いが始まることになった。

 

 1回の面会時間はわずか15分と制限される。そのため、時間制限のない弁護士を通じて話を聞くという取材手法を取った。

 

 山田氏の話は詳細に及んだ。

 

 1997年2月、巨人の宮崎キャンプで一緒にゴルフをしたときに初めて知り合ったこと。その半年後に清原から「俺は友達が一人もいないから大ちゃん(山田氏のこと)だけは絶対裏切らないでほしい」と言われたこと。2人の薬物の関係は1999年から始まっていたことなど。

 

 1回の面会で数時間、山田氏は清原との関係を赤裸々に語る。清原が17年にわたり薬物にハマっていくさまは想像を超えていた。だが、問題はその裏づけだった。

 

 山田氏本人が保釈許可され拘置所から出てこなければ、その先の取材は制限される。山田氏の携帯電話に残された清原とのメール、2人で撮った写真、肉声テープがあれば、証拠の一端になる。

 

 山田氏に保釈許可が下りたのは、手紙が届いてから1カ月が経過したころだった。

 

 ところが、精神医療センターで薬物離脱治療に専念すること、さらには薬物離脱プログラムを有する施設への入所が義務づけ
られた。いずれも外出は不可だった。

 

 取材班は、山田氏に面会取材をするため、医療センター、施設通いの日々を続けた。最終的に山田氏は、今年2016年1月、東京拘置所に逆戻りさせられることになる。施設が山田氏の身元引受人を拒否したからだ。

 

 それでも取材班は、山田氏と清原がやり取りしたメールを入手していた。「ガン決まりです」。清原が山田氏に宛てたメールは、覚醒剤使用を思わせるには十分な内容だ。

 

 一方、山田氏のもとには警視庁の関係者から連絡が入っていた。清原のクスリ疑惑について警視庁も山田氏には関心を寄せていたからだ。清原にクスリを売ったとして、のちに逮捕される売人を紹介したのは山田氏だと、警視庁はこの段階からすでに把握していたわけだ。

 

 山田氏が拘置所や施設に入所している間に、警察は着々と清原を追いつめていた。そして、ついにその時が来たのだった。

 

●著書出版、格闘技参戦……飛び交う清原の今後

 2016年2月2日夜、ニュース速報が流れた。「清原和博、覚せい剤取締法違反で逮捕」――。取材班は深夜の編集部に集まった。

 

 翌朝、すぐさま東京拘置所に向かった。山田氏は清原逮捕を知っているはずだ。拘置所内では、一部のスポーツ紙や一般紙を見ることができるのだ。

 

「知っていると思いますが、清原がついに逮捕されました。昨日の夜です」

 

 そう言うと同時に、面会室の中を仕切る分厚いアクリル板にスポーツ紙の1面を掲げ、山田氏に見せた。山田氏の顔が蒼白になっていく。笑みは消え、顔が引きつった。

 

「ちょっと待ってよ。本当か。ええっ、本当に逮捕されたの?」

 

 山田氏は、気持ちを落ち着かせようと、何度も考え込む仕草をした。

 

 山田氏がもっとも許せなかったのは、自分を飛び越えて清原と売人が直接取引をしていたことだった。清原を守るために、勝手に売人に接触しないよう山田氏は何度も清原に言い渡していた。それなのに、自分には秘密で直接取引をして逮捕につながった。怒りにも似た感情が湧いていた。

 

 清原逮捕翌日から、山田氏のもとにはいっせいにメディアが押し寄せた。山田氏が東京拘置所にいることを調べ、面会依頼が相次ぐ。山田氏が清原逮捕のキーマンであることは皆知っていた。

 

 だが、山田氏はこれまでの経緯から、本誌取材班との接触を優先させた。ここで山田氏が他社の取材に応じれば、この半年間は水泡に帰する。

 

 清原が逮捕された2月から、判決が下される5月末まで、本誌は山田氏の証言を中心に10本の記事を書いてきた。たとえば、弘道会との関係、生々しいシャブセックス、覚醒剤使用疑惑のある元巨人選手の直撃などだ。

 

 それでも、書ききれなかった内容は山のようにある。清原と妻だった亜希さんとの関係、清原に覚醒剤を勧めたある女性……。

 

 約20年にわたる清原と山田氏との関係は、語り尽くせない物語を生んでいた。山田氏は清原の要求に応え、山田氏にとっては、それが自らの存在意義につながっていたとすら思えてくる。

 

 その山田氏は7月に刑が確定し、現在はある刑務所で服役中の身だ。

 

 一方、清原は現在どうしているのか。ある関係者はこう話す。

 

「判決後、清原は都内を転々としていた。クスリが切れてうつ状態だったというが、それも改善されてくるころだ。収入はないようだが、貯金は残っていてすぐに生活に困るようなことはないだろう。父親がいる大阪の岸和田にも顔を出している。大阪と東京を行ったり来たりの生活を続けているようだが離島での目撃情報もあった」

 

「著書を出版する」、「年末の格闘技イベントに出場する」……。そんな話も浮上しているが、現時点では噂の域を出ない。執行猶予期間は4年。それまでは禊として、公に姿を見せることはないのだろうか。

 

 山田氏は「2度と覚醒剤に手を出さない」と断言していた。清原も裁判で涙ながらにそう答えた。2人の関係が戻ることも二度とないだろう。闇の先に光が射すには、まだ長い時間が必要である。

 

(フラッシュ増刊ダイアモンド2016年10月27日号)

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