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500社を創業した「渋沢栄一」子孫に聞いたらやっぱり女性にモテモテだった
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.02.13 06:00 最終更新日:2021.02.13 06:00
<<渋沢栄一 略年譜>>
・1840年 2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市)に生まれる
・1858年 従妹の千代と結婚
・1863年 高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し、京都へ出奔
・1867年 パリ万博使節団の一員としてフランスへ
・1869年 明治政府に出仕
・1870年 富岡製糸場の設置主任となり、建設計画を推進
・1873年 大蔵省を辞める。第一国立銀行(のちの第一銀行、第一勧業銀行:現・みずほ銀行)の総監役に就任
・1878年 東京商法会議所を創立、会頭に就任
・1882年 千代がコレラで死去
・1883年 兼子と再婚
・1902年 欧米視察で、米ルーズベルト大統領と会見
・1909年 渡米実業団団長として渡米。米タフト大統領と会見
・1914年 中華民国を訪問
・1915年 パナマ運河開通博覧会視察のため渡米。米ウィルソン大統領と会見
・1916年 第一銀行頭取などを辞め、実業界から引退
・1921年 排日問題対応のため渡米し、米ハーディング大統領と会見
・1931年 永眠、享年91
(週刊FLASH 2021年2月16日号)
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