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五輪組織委会長に就任した「橋本聖子」子供の名前は「ぎりしゃ」に「とりの」

社会・政治 投稿日:2021.02.18 18:30FLASH編集部

五輪組織委会長に就任した「橋本聖子」子供の名前は「ぎりしゃ」に「とりの」

ソウル五輪の橋本聖子(写真・JMPA)

 

 女性蔑視発言で辞任した森喜朗氏の後任として、2月18日、橋本聖子・前五輪相が東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長に就任することが決まった。

 

 橋本氏は18日の会見で「国と東京都とさらに連携を加速して、国民の皆様方、海外の皆様方にも、これであれば『安心・安全』な東京大会だと思ってもらえるような体制をしっかり整えていきたい」と語った。

 

 

 橋本氏は「五輪の申し子」と呼ばれている。

 

「橋本さんが生まれたのは、1964年の東京五輪開会式の5日前。五輪に出てほしいと思った父が、娘の名前を聖火にちなんで『聖子』としたのは有名な話です。

 

 当時、一家は北海道で酪農をしており、その後、競走馬も育てるようになりました。そのため、最初は父から乗馬を指導されたといいます」(スポーツ担当記者)

 

 橋本氏自身がオリンピックを意識したのは、1972年の札幌オリンピックを見たときだ。冬になると牧場にあった池が凍り、そこでスケートをして遊んだことから、スケートでオリンピックを目指すと決めた。

 

 中学でスケートで頭角を現し、1984年、サラエボ五輪に初出場。1988年には、カルガリー五輪で5種目すべてに入賞した。1992年、アルベールビル五輪のスピードスケート1500メートルで、日本人女性初となる冬季五輪「銅」を獲得している。

 

 1995年、参院選で初当選したあとも、議員とアスリートの「二足のわらじ」を履いた。1996年のアトランタ五輪でも、自転車競技で日本代表に選ばれている。

 

 結局、1984年、1988年、1992年、1994年の冬季五輪にスピードスケートで、1988年、1992年、1996年の夏季五輪に自転車で出場。冬4回、夏3回(計7回)の出場は日本人女性として最多だ。なお、2010年のバンクーバー五輪では、女性初の五輪選手団長を務めている。

 

 アトランタ五輪で現役引退した橋本氏は、警視庁でSPを務める警察官と結婚。夫は前妻と死別しており、すでに3人の子供がいた。その後、橋本氏は子供を3人産むが、いずれもオリンピック開催年。そのため、子供にオリンピックにちなんだ名前をつけている。

 

 シドニー五輪が開かれた2000年に生まれた子供は「せいか」ちゃん、アテネ五輪の2004年の子供は「亘利翔(ぎりしゃ)」君、トリノ五輪の2006年は「朱李埜(とりの)」君だ。

 

 橋本氏は、日本スケート連盟会長、日本オリンピック委員会(JOC)理事、東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当大臣などを歴任している。

 

「わが子に五輪がらみの名前をつけた橋本氏ですが、2010年、後輩で元アスリートの岡崎朋美さんが第一子を妊娠した際、その年に開催されたバンクーバー五輪にちなんで『かなだ』と名付けたら、とすすめたと報じられたこともあります」(前出・スポーツ担当記者)

 

 新型コロナウイルスや人事のゴタゴタなどトラブルが続くが、「五輪の申し子」は東京五輪を成功に導けるか。

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