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なぜ「経済成長」と「生活の向上」がリンクしなくなったのか、コンビニから考えよう
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.03.24 16:00 最終更新日:2021.03.24 16:00
私たちは、日常においても非常事態においても、生活必需品をコンビニやスーパーに依存している。しかし、そこで働く人の多くは賃金の低い非正規労働者である。あるいは、シフトの穴を埋めるために時間外労働が常態化している社員である。
富の偏在が拡大して経済循環が停滞する状況に陥ると、「そこそこ働いてそこそこ稼ぐ」といったような中庸モデルは、もはや成立しにくくなってしまう。指揮命令権は上層部や中央本部に独占され、現場の自律的判断が著しく規制される。
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それはまさにチェーン展開・フランチャイズ展開が全国に拡大しようとも、現場で働く人の待遇は一向に良くならずに、店舗数だけが増殖していくようなものだ。
コンビニはここ30年間で店舗数を10倍も増加させてきた。その間、自営業者数はその家族従業者数も含めると、約1400万人から約700万人へと「半減」している。
コンビニの店舗数拡大は、規制逃れをその歴史の出発点としている。かつて地元で営まれていた中小の小売店は、大手各社が仕掛けた大型スーパー出店ラッシュによって、軒並み廃業に追い込まれていった。
そこで大型店の出店規制をするために、政府は大規模小売店舗法(大店法)を施行させた。規制の対象となったのは店舗面積の規模だったが、規制への対抗策として打ち出されたのが、「面積の拡大」から「店舗数の拡大」という戦略だったのだ。
他方で、大店法自体も平成元年(1989年)からスタートした日米構造協議でアメリカ側から「規制緩和」を強く求められたうえ、同年からの消費税導入、あるいは車社会の進展などによって、自営業者や商店街組合は完全に劣勢を強いられてしまった。
長い間、家族経営の小さな酒屋を地元で営んでいた人びとが、コンビニやショッピングモールで「再雇用」されて同じように酒を売るようになったとしても、その文脈は明らかに違ってくるだろう。
地域の小さな商いは、営業時間や定休日、働き方、地域住民との人間関係など自律的・自主的に店舗ごとの運営がなされてきた。自営業者の中には、世間話が好きな人や職人気質の無口で偏屈な人もいるだろう。
そういった風景は、本部が管轄するスケジュール管理と接客マニュアルに置き換わっていったのだ。様々な顔を持った人間は「労働者」へと一元化され、さらには正規労働者/非正規労働者という選別が待っていた。
自営業者の没落に限らず、人びとを土地や文脈や固有の関係性から切り離し、工場やオフィスに投入して効率的な管理を施すのが、時間を切り売りさせる非人格な市場(しじょう)の意図してきたことである。市場(いちば)は「固有の場所」を指し示すが、市場(しじょう)は資本の力で「空間」さえ獲得してしまえば成立する。
資本は「固有の場所」を無機質な「空間」に変え、人間を顔なき労働者に変える。生業と生活の基盤を奪われ、飢えを恐れる者は新たな所属先に隷属するしかなくなるだろう。
これが、「経済」の成長と「生活」の向上とがリンクしなくなった大きな理由のひとつだ。
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以上、松尾匡氏、井上智洋氏、 高橋真矢氏の共著『資本主義から脱却せよ~貨幣を人びとの手に取り戻す~』(光文社新書)の第7章(高橋真矢「『すべての人びと』が恩恵を受ける経済のあり方とは?」)から抜粋しました。豊かな現代に生きるはずの私たちが将来への不安や焦りを感じている根源的な理由はなにか、検証します。
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