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陸前高田に咲く1800本の桜……「ここまで津波が来た」ことを忘れぬように
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.03.28 06:00 最終更新日:2021.03.28 06:00
3月22日午後、靖国神社のソメイヨシノが満開の基準を満たし、東京管区気象台は東京の桜が満開になったことを発表した。30年にわたり、日本全国の桜を撮影してきたカメラマンのピート小林氏は、2011年の震災以降も、東北への撮影取材を続けている。
「震災以前から毎年のように、弘前公園(青森県)を東北でのゴールと定め、この地方の桜を撮影してきました。忘れられないのは、宮城県石巻市の旧北上川沿いにある一本の桜です。2011年の春、石巻を訪れた私は、根元から倒れていた若木に出会いました。目を背けたくなりながらもシャッターを切ったのですが、2013年に訪れたときには、同じ場所に、若木が再び真っ直ぐに立ち、花を咲かせていたのです。倒れていたものと同じ若木に違いありません。桜の木を立たせた石巻の人々の気持ちに感動しました」(ピート小林氏、以下同)
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しかし、失われた桜も多い。
「津波のあとも花を咲かせていたにもかかわらず、新たな町づくりの“代償”として、伐採された桜も多いのです。区画整理や、浸水した地域をかさ上げするためなど、やむを得ない事情もあるのでしょう。宮城県気仙沼市の大川の桜並木も、住民の反対運動も虚しく、大半が伐採されてしまいました。津波のとき、大川の桜の枝に必死にしがみついて助かった方がいたと聞きました。せめて永遠に語り継いでほしいですね」
2020年4月、ピート氏が訪れたのは、岩手県陸前高田市。新聞を読んでいてふと目に留まった桜の記事について、自身の目で確かめに出かけたのだ。
「福島県の浜通りの被災エリアで、桜の写真を撮って回っていたときに記事を見て、翌朝BRTに飛び乗って現地に向かいました。海岸から2kmはなれた浄土寺の境内に、『津波到達地点 2011.3.11』という石碑が立っていました。そして、そのそばに見事なカワヅザクラが咲いていたのです」
この桜は、地元の若者たちが結成した団体「桜ライン311」が2011年11月に植えたもの。「ここまで津波が来た」ということを、桜を植えることで忘れないようにしようという思いが込められている最初の一本だ。
「がれきだらけだった10年前、こうして植えられた桜が見事に花を咲かせていて、すばらしいなと思いました。原木のある静岡県河津町には、例年、100万人もの人が訪れています。陸前高田にも、そんな賑わいが生まれてほしいですね」
「桜ライン311」が陸前高田市内に植えた桜は、2021年3月時点で約1800本に上る。例年、開花は4月上旬。ピート氏は今、満開の桜を撮影するために、東北への旅支度を整えている。
「さらに、4月には、熊本地震から5年を迎えます(14日に前震、16日に本震)。阿蘇神社が母の生家であることもあり、地震のあと、熊本には何度も訪れています。熊本城の桜や阿蘇神社の桜に、今年も会いに行くでしょう。桜は東北でも、熊本でも、復興のシンボルになっているんです」
2011年の春、石巻市にて撮影した根元から倒れていた若木
2013年に石巻市を訪れたときには、再びまっすぐに立ち、花を咲かせていた
気仙沼市・大川の桜並木(2013年撮影)。移植可能な7本を残して伐採された
「桜ライン311」が岩手県陸前高田市・浄土寺に植えた最初の一本(2020年撮影)
福島県富岡町「夜の森」の桜並木。現在も「帰還困難地域」のままだ(2020年撮影)
宮城県南三陸町歌津地区を走るBRTは復興の証だ(2020年撮影)
熊本城の桜(2019年撮影)。復興まで20年を要するというが、できるかぎり見届けたい
阿蘇神社の夜桜(2019年撮影)。年に何度も訪れ、復興の様子を見つづけている