1900年(明治33年)4月8日、山陽鉄道(現・山陽本線)の神戸~三田尻間の急行列車に、日本で初めての寝台列車が連結された。
当時の寝台列車に個室はなく、線路と並行に配置された2段の寝台が備えつけられていた。だが、一等寝台車の利用料金は高額で、気軽に乗れるものではなかったようだ。
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京都鉄道博物館の学術員に、寝台列車が導入された経緯について尋ねてみた。
「当時、長距離列車や寝台のない夜行列車での移動は、今ほど快適なものではなかったんです。現在と違い、線路や客車はあまり性能のいいものではありませんでしたから。目的地に着く前に途中下車して、町で一泊する乗客もいたほどでした。
一方、山陽鉄道の交通面でのライバルといえる瀬戸内航路では、船内で横になって移動することができました。山陽鉄道は、長距離を旅する乗客に対し、いいサービスを提供するために、寝台車の導入に踏み切ったようです」
実は、山陽鉄道は他の路線に先駆けて、数多くの鉄道サービスを始めている。1898年(明治31年)には列車にボーイを乗務させ、翌年には急行列車に食堂車を連結。洋食やケーキ、ウイスキー、ブランデーなどを販売した。
その他、夏季の夜行列車では蚊帳の貸出をおこなうなど、至れり尽くせりだったようだ。
なお、寝台列車は軍需輸送のため1944年に一時姿を消し、1948年に復活。それから10年後、1958年にデビューした東京~博多間の「あさかぜ」は冷暖房が完備され、“走るホテル” と呼ばれることになる。
山陽鉄道はのちに国鉄へ編入されてしまったが、築き上げた鉄道サービスの基盤は現在まで続き、乗客たちを楽しませている。
写真提供:交通協力会電子図書館