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全米に広がる「アジア人」差別反対運動…過去の排斥を謝罪、空手選手の告発もニュースに

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.04.16 18:50 最終更新日:2021.04.16 18:50

全米に広がる「アジア人」差別反対運動…過去の排斥を謝罪、空手選手の告発もニュースに

アジア人差別反対デモ

 

 全米でアジア人差別が広がるなか、差別反対運動も盛り上がりを見せている。4月14日には、カリフォルニア州アンティオック市長が、過去に起きた中国人排斥運動に対して謝罪した。北カリフォルニアで初めての正式な謝罪だという。

 

 同じアジア人でも日本人と中国人差別の歴史には違いがある。サンフランシスコから60kmほど離れたところに位置するアンティオック市は、2つの川が合流し、太平洋に流れ出る河口に面した風光明媚な場所だが、ここには激しい中国人排斥の歴史があった。

 

 

 中華系移民は1800年代半ば、ゴールドラッシュや大陸横断鉄道建設の労働力として当時の清国から大量に流れ込んできた。安価な労働力として重宝された一方、白人社会との摩擦は激しくなっていく。

 

 アンティオック市は、中国人住民に対し、日没後に外を歩くことを禁止。1876年には当時数百人住んでいた中国人を街から追放し、チャイナタウンに火を放った。焼け跡からは、中国人たちが日没後も出歩けるように作った堅牢なトンネルが見つかったという。

 

 当時の世論では、中国人排斥は愛国的な行動だとされ、1879年には中国人とモンゴル人の雇用を禁止する条例ができた。3年後の1882年には、連邦議会が中国人排斥法を可決し、全米規模で中国人労働者の入国を禁じた。これは人種を理由に移民を禁じた初の法律である。

 

 1943年には若干数の入国が認められるようになるが、人数制限は1965年の移民国籍法改正まで続くことになる。

 

 逆に、日本人は中国人排斥法が制定されてから人口が増えた。もちろん白人からの反発は早くからあり、1913年に排日土地法、1924年に排日移民法が成立する。第2次世界大戦が始まると、アメリカと同盟関係になった中国人の排斥法は撤廃され、敵国となった日系人は強制収容が始まった。

 

 アンティオック市はこの100年間、中国系の住民が寄りつかず、1960年の国勢調査では99.6%が白人住民だった。現在でもアジア系の人口は11%ほどで、サンフランシスコの34%に比べるとだいぶ少ない。

 

 中国人に対して謝罪した市長は、この地に史実を残す博物館や壁画を作り、市に対しても正式に謝罪するよう訴えていきたいと語っている。市長は黒人で、人種差別の痛みや苦しみに対しての理解があるのだろう。

 

 SNSが普及したこともあり、最近では被害を受けたアジア人たちも泣き寝入りせず声を上げるようになっている。東京五輪に出場予定で、空手アメリカ代表の國米櫻(こくまいさくら)選手が、「チャイニーズ」「チビ」「刺身」などの暴言を受けた様子をSNSにあげた一件は、主要メディアでも取り上げられている。

 

 アジア系差別問題に取り組んでいるバイデン大統領は、4月14日に、ヘイト担当の大統領補佐官を新設し、日系人で中国にもルーツを持つエリカ・モリツグ氏を指名した。

 

 BLM運動のような激しさはないが、それでも多くの人が声を上げることで、アメリカにいるアジア人たちの状況も少しずつ改善を見せている。(取材・文/白戸京子)

 

写真・Kimberley Wong

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