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【4月21日の話】渋谷駅前に「ハチ公像」が設置…山形県に残された試作品の謎とは

社会・政治 投稿日:2021.04.21 06:00FLASH編集部

【4月21日の話】渋谷駅前に「ハチ公像」が設置…山形県に残された試作品の謎とは

 

 1934年4月21日、渋谷駅前に初代となる忠ハチ公像が設置された。除幕式には、まだ健在だったハチ公も出席したという。

 

 飼い主が亡くなったことを知らないハチは、渋谷駅前で10年間、主人の帰りを待ち続けた。その姿に胸を打たれた、日本犬保存会初代会長の斎藤弘吉が新聞に寄稿したことから、「忠犬ハチ公」の名が一躍全国に広まり、銅像が作られるに至った。

 

 

 しかし、彫刻家・安藤照が作った初代ハチ公像は、戦時中の金属供出で失われてしまう。1948年、息子である安藤士(たけし)によって2代目ハチ公像が作られた。現在、渋谷駅前に設置されているものである。

 

 渋谷駅前と、ハチ公の生まれ故郷である秋田県大館市にハチ公像があるのは有名だが、実は山形県鶴岡市に、2代目ハチ公像の試作品となった石膏像が置かれている。

 

 いったいなぜ、鶴岡市にハチ公像があるのか。「鶴岡ハチ公像保存会」の高宮宏会長に話を聞いたところ、ハチ公が歩んできた長い旅路が明らかになった。

 

「1985年、地元の町役場で秋田犬の石膏像を目にしました。台座に『士1947』と刻んであり、渋谷のハチ公像と姿かたちもよく似ていることから、安藤士先生の作品なのではないかと考えました。私自身、今でも秋田犬を飼っているほどの犬好きで、どうにも気になっていろいろ調べ始めたんです。

 

 20年ほどたってからご縁がつながり、安藤先生とお話する機会をいただきました。話を聞いた先生は『それは、私の作品に間違いありません』とおっしゃったのです」

 

 話は戦後まもなくまでさかのぼる。空襲によって、安藤の自宅やアトリエは焼けてしまう。それでも、被害を免れた家の一角を借りて創作活動を始め、最初に完成したのが、ハチ公像だった。

 

「安藤先生は、製作にあたって『人間と動物の永遠の愛情を見つめるような目を表現したかった』と話していました。この石膏像の出来には満足されなかったようですが、そのままハチ公の銅像の製作に入られたと聞いています」(高宮さん)

 

 のちに、安藤は石膏像を家に置いたまま、別の家へ移り住む。ここから鶴岡市へと、どうつながっていくのか。

 

「元の家を、女優の三条美紀さんが購入されました。三条さんのお父様は俳優の佐藤円治さんで、この方が鶴岡市出身なんです。安藤先生が残した作品が佐藤さんの手に渡り、その後、友人の旅館に託されます。

 

 旅館ではマスコットとして大切にされたようですが、廃業で知り合いの建設会社社長の手に渡り、町に寄贈されたのです。

 

 そもそも鶴岡市とハチ公像には深いご縁があるんです。忠犬ハチ公の存在を世間に知らしめた斎藤弘吉さんは、鶴岡市出身なんですよ。斎藤さんの故郷に、めぐり巡ってハチ公像が来てくれるなんて、奇跡のようなことだと思っています」

 

 2006年に鶴岡市で行われた「鶴岡ハチ公像保存会」の設立記念式典には、安藤も出席した。

 

 約50年ぶりに自身の作品を目にした安藤は、「作った当時を思うと、たいへん感慨深いです。私が一番の課題としたことは、ハチ公のかわいさもあるけれど、それ以上に犬が人間を信じ切るという、その姿を刻もうとした。それだけは、まざまざと覚えています」と話したという。

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