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【4月22日の話】初代ミス日本誕生…山本富士子は女性の社会進出のトップバッターに

社会・政治 投稿日:2021.04.22 06:00FLASH編集部

【4月22日の話】初代ミス日本誕生…山本富士子は女性の社会進出のトップバッターに

山本富士子(写真・時事通信)

 

 1950年4月22日、第一回「ミス日本」が開催され、山本富士子が初代ミス日本グランプリに選ばれた。

 

 戦後まもないころ、アメリカから送られてきた救援物資への感謝を示すため、女性親善大使を送ることが衆議院で採択された。親善大使にふさわしい女性を選び出すため、読売新聞社が主催して「ミス日本コンテスト」を開催するに至った。

 

 

 審査員には、作家の久米正雄に吉川英治、松竹創立者の大谷竹次郎など、当時の日本を代表する文化人たちがずらりと並んだ。最終審査に残った女性は12人。1人ずつを部屋に呼び出し、質問に答えさせる面接のようなものがあったという。

 

 のちに昭和を代表する大女優となった山本は、『読売新聞』に当時を振り返っている。

 

「ミス日本応募の話は京都市役所から来たんです。父の友人だった広報課の方が両親を説得しに来られました。民間人がアメリカに行くなんてできない時代で、私にとってもあこがれでした。(中略)
 ミスに決まった時は、うわーっと胸がいっぱいになって、やっぱり泣きました」(1989年11月28日)

 

 現在残っているいわゆる「ミスコン」のなかでは、「ミス日本」が最も歴史が長い。しかし、日本における「ミスコン」の始まりは、さらに明治の時代までさかのぼる。

 

 美人史を長らく研究し続けてきた、風俗史研究者の井上章一さんに、ミスコンの歴史について聞いた。

 

「明治41年に『時事新報』という新聞が、全国から美人の写真を募ったことから、ミスコンの歴史が始まります。ですが、当時はステージに並ぶことはなく、写真だけを見比べる催しでした。賞金や記念品も後日郵送となっており、今とはずいぶん形が違ったようです。

 

 第2次世界大戦が終わると、ステージに女の子たちを集めるタイプのミスコンが開催されます。苦しい戦争は終わったんだという、解放感を求めたものだったのでしょう。

 

 山本富士子さんが選ばれた第一回ミス日本も、そのひとつです。当時は、我も我もと女の子たちから応募が来るような時代ではなく、主催側は美人探しに奔走したと思われます」

 

 昭和の時代が進むにつれ、ミスコンは数も増えて盛んにおこなわれるようになっていく。しかし、これに比例して批判も増えてきた。

 

「私が忘れられない話があるのですが、1980年代の中頃、『ミス名古屋コンテスト』が、『市の税金を使って美人選びをするのは許せない』と女性団体から抗議を受けたことがありました。

 

 そのときの名古屋市役所のコメントが衝撃的で、『名古屋市役所は、いわゆる美人選びをしていません。それは、歴代のミス名古屋をご覧になっていただければわかるはずです』と釈明したんです。

 

 この釈明を見て、歴代のミス名古屋が聞いたらどんな気持ちになるでしょうか。わざわざ美人を避けるミスコンとは、それこそ本当にやる値打ちがあるのかと思いましたね」

 

 美人史の研究を長年続けてきた井上さんは、こうした批判をどう捉えているのだろうか。

 

「ミスコンと聞くと、一見、男が女をおもちゃにしているように見られがちですが、私は少し違う見方をしています。男社会が柔らかく変化しつつある過程で生まれたものだと思っているんです。

 

 明治や、さらにもっと昔は、今よりガチガチの男社会でした。男たちは威張りくさり、女の人たちは家事に専念しろと本気で言われていました。要は『俺たちの作った社会に、女たちは入ってくるな』という厳しい時代だったんですよ。

 

 ミスコンという催しは、大正・戦後のデモクラシーを経て、かりそめであっても男女同権となった時代から急激に増えています。たとえ美人をもてあそぶという構図だったとしても、かつて存在した本気の男社会と比較すると、確実に女の人たちを受け入れる方向に変化していったんです。

 

 ちなみに明治40年頃のことですが、それまで元侍のおじいさんたちが担っていた美術展の受付や会場案内を、ある展覧会で女子学生に変えました。すると、物珍しさもあって、ふだんより来客数が多かったという話が残っています。

 

 これも、ある種女性の社会進出ではないでしょうか。“きれいな子” というのが問題かもしれませんが、若くきれいな女性たちが、男たちに取って代わっていく流れも、男社会を崩していくきっかけになったのでしょう」

 

 現代ではミスターコンテストなどもあり、ミスコンはかつてほど影響力を持ってはいない。

 

「かつてミスコンの影響力は強く、山本富士子さんが初代ミス日本になられたときは、全国各地で大きな話題になりました。ミス・ユニバースでグランプリになれば、主催の産経新聞が1面から5面までその子を特集するような時代です。

 

 いまでは、ミスコンにそこまでの訴求力はありません。ですが、それは自分たちの美貌をもって自由に社会に進出する女性が、ものすごい勢いで増えたからです。

 

 かつて、きれいな子たちが両親から『あなたはきれいなのだから、勉強なんてせず、いいところへお嫁に行きなさい』と言い聞かせられた時代は遠くなっています。

 

 きれいな人が社会的に独立できなかった時代と、社会のあらゆるところで女性が活躍できる時代の、ちょうど過渡期がミスコンテストだったのだと思います」(井上さん)

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