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「新婚旅行」の変遷史…明治に誕生し、1960年代は宮崎がブームに/5月3日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.05.03 06:00 最終更新日:2021.05.03 06:00
1889年(明治22年)5月3日、『東京日日新聞』に「新婚旅行」という言葉が日本で初めて掲載された。当時、「ハネムーン」の言葉自体はすでに海外から入ってきていたが、「新婚旅行」と訳された言葉が出たのはこのときが最初とされている。
明治から現在に至るまで、人々はどんな場所へ新婚旅行に行き、何をしてきたのか。千葉商科大学副学長・教授で、ブライダルサービスを専門に研究している今井重男さんに話を聞いた。
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「明治時代に『新婚旅行』という言葉が広まりましたが、しばらくは、あくまでハイカラな言葉として捉えられるにとどまっていたようです。1898年に『東京朝日新聞』で半井桃水が『新婚旅行』という連載小説を始めるのですが、新婚旅行は話のフックにすぎず、テーマはまったく違うものでした。新婚旅行がどういうものか、といった描写はまだ出てきません。
明治・大正初期までは上流階級の人々が行くものとされ、大正から昭和にかけて徐々に行く夫婦が増え、新婚旅行の文化が定着していきます。それでも、大衆化したといえるのは、やはり戦後でしょう」
現代の新婚旅行といえば海外リゾートの人気が高い印象だが、海外に行き始めたのは、為替が変動相場制になった1973年以降だ。それまで選ばれていた国内の新婚旅行スポットも、時代によって人気は変遷している。
「明治時代は鉄道網が発達していませんでしたから、どうしても鎌倉や逗子、湯河原といった近場が選ばれていました。大正から昭和にかけては、箱根や伊勢など少し足を伸ばすようになります。特に、伊勢神宮へお参りに行く夫婦は多かったようですね。
1970年代には、ベビーブームを生み出した世代たちが結婚します。このとき結婚した夫婦は100万組数を超えたという記録が残っていますから、人数にすると200万人の夫婦が生まれたわけです。この時代には、熱海・箱根・伊勢あたりは変わらず人気でしたが、南九州、特に宮崎が大ブームでした。
主な理由は2つです。まずは、日南海岸という新しい観光地ができたから。毎日新聞社が企画した『新日本観光地百選』というキャンペーンがあり、これに応募して宮崎を売り出すため、地元の観光関係者が『日向の国の南』ということから日南という名前を作ります。これに乗っかる形で、宮崎交通が開発を進めました。
もう1つは、皇族の方々が宮崎を訪ねられたからです。1960年に元皇族である島津貴子さまが結婚され、夫側の実家である宮崎を訪問されます。それから2年後にも、結婚から3年ほど経った上皇ご夫妻が、お2人で宮崎を訪問されたことから一気に火がつきました。
宮崎に向かう新婚夫婦たちを撮った1960〜1970年代の写真を見ると、男性はスーツにネクタイを締めて、女性は全員窓際に座っているという、今とは違った様相が見えてきます」(今井さん)
新婚旅行が普及し始めた時代は、まだまだ恋愛結婚は少なく、お見合いで結ばれるケースが大半だった。ろくに距離感も近づいていないうちから2人きりで出発する旅は、さぞや気まずいのではなかろうか。
「1933年の『アサヒグラフ』に、『新婚列車』というタイトルの写真が載っています。東京から熱海へ向かう電車に乗った夫婦が写り、女性は窓際に座って外を見ている。写真の解説には、『新橋で口を切り、横浜で顔を見合わせ、大船でものを食べ、小田原を過ぎた頃には並んで腰掛けるほど親しくなってくるんです』とあります。
出発時点では旦那さんの顔も見られなかったお嫁さんが、徐々に打ち解けていく様子がよくわかります。今は結婚前に同棲するカップルが多く、互いを十分に知ってから結婚に踏み切る傾向にありますが、当時は結婚してからすべてが始まります。これから長く続いていく夫婦生活のために、お互いについて話し合い、理解を深めるための儀式として、新婚旅行をしていたのではないでしょうか」(今井さん)
写真・時事通信