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外国人が育てた「神戸」はじまりは六甲のゴルフ場だった/5月24日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.05.24 07:18 最終更新日:2021.05.24 07:19
1903年5月24日、兵庫県神戸市の六甲山上に、日本最古のゴルフ場である「神戸ゴルフ倶楽部」が開場した。ゴルフ場を創設したのは、イギリス人貿易商であったアーサー・ヘスケス・グルームという人物だ。
幕末に開港した神戸には、外国人居留地が設置されていた。1899年(明治32年)まで外国人に行政権や財政権が認められており、日本人が許可なく立ち入れない時代があった。
グルームがゴルフ場をつくった経緯について、歴史学者である濱田浩一郎さんに話を聞いた。
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「神戸港開港と同時に来日したグルームは、兄が仲間たちと立ち上げたグラバー商会に勤務していました。
グルームは、神戸に支店を開設するため外国人居留地を訪れます。その後、貿易商として成功すると、六甲山上に初の別荘を建てるのです。
ある日、この別荘で友人たちと雑談していると、イギリスで盛んだったゴルフの話になり、興味を持ったグルームが『ここにコースを作ろう』と言い出します。この時点でグルームは、ゴルフ未経験だったようですね」
六甲山上でゴルフに適した土地を借りるまでは早かったが、人力での土地整備には苦労したようで、完成まで3年もの歳月がかかった。1901年、ようやく最初の4ホールが完成する。
「『六甲山にゴルフ場ができたらしい』と、噂を聞きつけた人々でずいぶん賑わったそうで、次第にグルーム1人の管理では追いつかなくなり、1903年に『神戸ゴルフ倶楽部』が創設されました。
当時の135名の会員には、川崎造船所(現・川崎重工業)の副社長を務めた川崎芳太郎など、7名の日本人が参加しています。
その後も規模は拡大し、1904年には18ホールが整備されました」
グルームは、植樹や道の整備を進め、六甲山の開発に力を注いだ。
神戸の避暑地・リゾート地の基礎を築いたグルームは、「六甲の開祖」と呼ばれ、現在も六甲山には記念碑がたたずんでいる。