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戦後初の国産潜水艦から60年余…日本を守る “驚きの静音” 技術/5月25日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.05.25 08:00 最終更新日:2021.05.25 11:04
1959年(昭和34年)5月25日、戦後初の国産潜水艦「おやしお」の進水式がおこなわれた。川崎重工業・神戸工場で建造された「おやしお」は、1960年に就役し、呉地方隊に編入された。
日本に初めて潜水艦が導入されたのは、日露戦争が起きた1904年だ。アメリカのホーランド級潜水艦を5隻購入した海軍は、その技術を参考に国産潜水艇2隻を完成させた。
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防衛問題研究家の桜林美佐さんがこう語る。
「1910年、国産の『第六潜水艇』が岩国沖で試験航行中に浮上できなくなり、海軍大尉(当時)佐久間勉艇長以下14名の乗組員全員が亡くなったことが大きなニュースになりました。
潜水艇を引き上げると、総員もれなく持ち場を離れず絶命していたことに加え、佐久間艇長が事故の経過や部下の家族への気遣いを記した遺書を残しており、国内だけでなく外国からも称賛されたのです。
遺書には、この事故が将来潜水艇の発展に打撃を与えるのではないか、と案じるような文言も記されていました。その強い思いを受けるように、海軍はその後も潜水艦技術の発展に尽力します」
熱心に建造を進めた結果、第2次世界大戦当時、日本は200隻を超える潜水艦を保有していた。
敗戦で海軍は消滅するが、戦後の1954年に海上自衛隊が誕生すると、翌年にはアメリカから潜水艦「ミンゴ」が貸与される。
日本では「くろしお」と名付けられ運用が始まるが、同時に国産化の機運も高まった。
「アメリカの支援を受けながら、1957年に国産1番艦である『おやしお』が建造され、1960年に就役しました。
就役当時を知る海自OBの方に話を聞いたことがありますが、『くろしお、おやしおの2隻がわれわれ潜水艦乗りのルーツです。互いの乗組員が能力を競い合って成長していきました』とおっしゃっていました。
乗組員の能力向上と、国産の建造技術の発展が、二人三脚で進んでいったと言えるでしょう」
実際に、日本の潜水艦建造技術や運用ノウハウには、海外からも熱い視線が注がれているという。
海上自衛隊が所有している潜水艦は、「おやしお」型潜水艦と、2009年から就役している「そうりゅう」型潜水艦の2種類に大別される。
「『そうりゅう』型潜水艦は、世界最高レベルの静音性を誇ります。これは、潜水艦に液体酸素を蓄えることで、大気のない海中でもエンジンを動かせるAIP(大気非依存型動力機関)によるものです。
従来は海面に吸気口を出し、吸い込んだ空気でディーゼルエンジンを動かす方式でしたが、どうにも発見されやすいという問題がありました。しかし、大気に依存しないAIPにより、静音性能が高まり、航続性能も大幅にアップしたのです」
技術開発はさらに進んでおり、2020年10月14日には、リチウムイオン蓄電池を搭載した新型潜水艦「たいげい」が就役している。蓄電池技術の発展が新たな潜水艦を生み出したのだ。
2010年に発表された「防衛計画の大綱」では、潜水艦22隻体制が打ち出されている。当時の保有数は16隻だったが、2021年3月24日に「そうりゅう」型の最終番艦「とうりゅう」が就役したことで、晴れて22隻に到達した。
約11年かけて増強された体制により、日本の海は強力に守られている――。