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焼け跡の日本を巡った「ザビエルの右腕」…靖国神社を救った神父の言葉とは/5月26日の話

社会・政治 投稿日:2021.05.26 06:00FLASH編集部

焼け跡の日本を巡った「ザビエルの右腕」…靖国神社を救った神父の言葉とは/5月26日の話

長崎・大浦天主堂を出発する「聖腕」(写真・朝日新聞)

 

 1949年5月26日、フランシスコ・ザビエルの渡来400年祭のため、ローマから遺体の一部である「奇跡の右腕」が羽田空港に到着した。

 

 イエズス会の宣教師だったザビエルが、日本に初めて来日したのは1549年のこと。日本でキリスト教の布教につとめ、1552年には中国へ移る。

 

 

 しかし現地で病気になり、亡くなってしまう。時間が経っても遺体が腐敗しなかったことから「奇跡だ」と称えられ、インドのボム・ジェズ教会に、いまなお遺体が安置されている。

 

 キリスト教の歴史を紹介する「日本二十六聖人記念館」の担当者に、400年祭について話を聞いた。

 

「まず前提として、カトリック教会には、聖人たちの遺骸や遺品である『聖遺物』を大切にする文化があります。ザビエルの聖遺物の一部は世界各地に渡っており、たとえば右腕はローマに、耳・毛はリスボン、胸骨の一部は東京にあるのです。

 

 1949年に開催されたザビエル渡来400年祭は、実はGHQが全面的にバックアップしていたイベントでした。

 

 戦争で傷を負ったキリスト教徒たちを和ませたいという触れこみでおこなわれ、戦後初の一大イベントだったとされています。ザビエルの聖遺物である右腕とともに教皇特使たちが来日し、全国各地の聖人ゆかりの地を渡り歩きました」

 

 5月29日には、長崎の浦上天主堂跡に仮設の祭壇が設置され、ミサがおこなわれた。当時の写真を見ると、空襲による焼け跡が生々しい。以降約2週間に渡り、日本各地で同様の式典が開かれた。

 

「ひとしきり九州をまわり、山口、広島、京都、大阪などを巡ったようです。聖腕をかかげながら、街をパレードのように練り歩くこともありましたから、信者さんでなくとも覚えている人は多いと思われます。

 

 6月12日に東京の明治神宮外苑でミサがおこなわれ、全行程が終了しました。

 

 当時の日本は宗教関連の動きが盛んな時期で、靖国神社の取り壊しや焼却といった話も出ていた頃でした。

 

 しかし、カトリック麹町教会のブルノー・ビッテル神父が『いかなる国家においても、その国家のために死んだ人々に対し、敬意を払う義務と権利がある』と強く反対したとされています。

 

 戦後の日本で、キリスト教徒としてどのように振舞うかが問われていた時期、ちょうどおこなわれたのがザビエル400年祭だったのです」(担当者)

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