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「はだし禁止令」に「ねずみ買取」…ペストの流行を止めた北里柴三郎、紙幣の顔に/5月29日の話

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.05.29 11:00 最終更新日:2021.05.29 19:14

「はだし禁止令」に「ねずみ買取」…ペストの流行を止めた北里柴三郎、紙幣の顔に/5月29日の話

写真:近現代PL/アフロ

 

 1901年(明治34年)5月29日、警視庁から東京に「はだし禁止令」が発令された。当時、日本で流行しはじめたペストに対する施策だった。

 

「黒死病」とおそれられたペストのはじまりは定かでないが、中世には少なくとも2度のパンデミックを起こしている。

 

 1894年、香港を中心に3度目の流行が始まった。当時、未知の病とされていたペストだが、香港へ調査に乗り込んだ北里柴三郎らがペスト菌を発見し、状況は大きく変わる。衛生対策やネズミ駆除などにより、香港での流行拡大は落ち着いていった。だが、1899年、日本にもペストが侵入する事態となった。

 

 

 歴史研究家の濱田浩一郎さんがこう語る。

 

「1896年には、横浜に上陸した中国人がペストで死亡しました。事実上、これが日本国内で最初に出たペスト患者です。1899年11月には、神戸でペストと似た症状により少年が死亡したことから、日本政府が諸外国との輸出入を制限するなど、ペスト対策へ本格的に動き始めました。

 

 北里らも香港での経験を活かし、伝染病予防の重要性について各所に話をしていました。1897年には、伝染病に感染した患者の隔離方法や消毒の仕方などを規定した『伝染病予防法』が成立しています」

 

 ペストは本来ねずみの伝染病で、ノミを介してねずみからねずみへ菌が移ってゆくことが、北里らの研究でわかっていた。そのため、日本政府は国をあげて「ねずみ駆除」を進める。

 

「東京市(※現在の東京都東部)では、1900年から役所がねずみ1匹5銭で買い上げる取り組みをしていました。近所の交番にねずみを持っていき、現金引換え切符を手に入れ、さらにそれを区役所で換金するという手順でした。当時で5銭は悪くない値ですから、誰もがさかんにねずみ捕りに励んだようです。

 

 大正時代の話ですが、警視庁が『捕鼠隊』を組織し、1日に8000匹のねずみを捉えることもあったと記録に残っています」(濱田さん)

 

 はだし禁止令やねずみの駆除作戦には一定の効果があったようだが、結果的に何度か流行は起こってしまう。

 1899年にペストが侵入し、1926年までの間に、感染者は2905名、うち死亡者は2420名と報告されている。

 

 1927年以降、国内でのペスト感染の報告は1件も出ていない。

 そして、近代医学の基礎を築いた北里柴三郎は、2024年より新千円札の肖像画になることが決まっている。

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