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交番で知らされた日本初の天気予報「全国の風に定まりなし」/6月1日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.06.01 06:00 最終更新日:2021.06.01 07:42
1884年(明治17年)6月1日午前6時、東京・赤坂の東京気象台(現・気象庁)から、日本初の天気予報が発表された。
この日、交番に掲示された文章は「全国一般風の向きは定まりなし。天気は変わりやすし。ただし雨天がち」。全国の天気を一言で表すという、現在よりもいくぶんあいまいなものだった。
日本の本格的な気象観測は、お雇い外国人のイギリス人測量技師・ジョイネルによって始まる。イギリスでは、1861年と早い段階から新聞に天気予報が掲載されていたので、ジョイネルにとって天気予報は身近なものだったのだろう。
ジョイネルが雇い先の工部省に、気象観測の必要性を訴えたところ、工部省は気象台の設置に乗り出した。
気象予報士の白戸京子さんは、日本で実際に天気予報が発表されるまでの経緯をこう語る。
「まず、1875年6月1日に地震計とともに気象台が設置され、観測が始まりました。
しばらくは言い出しっぺのジョイネルのみで、1日3回の気象観測をおこなっていました。次第に日本人観測者の養成も始まり、彼らが各地の観測所に散らばることで観測の精度が上がっていきました。
1882年には、ドイツ人のクニッピングという人物も、暴風警報を出すための事業を任され、気象台に入ります。
徐々に観測のための環境が整備され、気象電報を日々全国から収集し、天気図が作成できるようになりました。1883年3月には天気図の印刷配布が始まり、翌年、ついに全国の天気予報が毎日3回発表されるようになったのです」
ただし、当時の天気予報は、東京市内の交番で掲示されるのみだった。現在のように、あらゆるメディアで天気予報が知らされるようになるのはずっと後のことだ。
「初めて新聞に天気図が掲載されたのは、1924年8月21日付の『国民新聞』でした。その翌年には、ラジオでも天気予報の放送が始まります。
当時は、まだ一家に一台テレビがある時代ではありません。テレビで初めて天気予報が流れたのは、1953年に放送開始された、NHKの気象情報でしょう。
実は、もともと天気予報というものは、防災などの観点から気象庁以外は発表してはいけない決まりでした。
しかし、1995年以降は天気予報が自由化し、民間気象会社が天気予報を発表してもよくなったのです。情報の見せ方にバリエーションが出て、天気予報は完全に人々の生活の一部になりました」(白戸さん)