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靖国神社に観覧車があった!知られざるアミューズメントパーク構想/6月4日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.06.04 06:00 最終更新日:2021.06.04 06:00
1879年(明治12年)6月4日、靖国神社が誕生する。それまでの「東京招魂社」から改称されたのだ。
靖国神社は英霊を祀る神社としての顔を持つが、一方で古くから競馬や相撲、プロレスがおこなわれるなど、人々の娯楽場としても機能していた。戦後間もない頃は、いっとき靖国神社を一大アミューズメントパークにする計画があったほどだ。
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そんな靖国神社に、かつて観覧車が設置されていたことはあまり知られていない。長年、観覧車研究家として活動を続ける福井優子さんに、詳しい話を聞いた。
「1907年(明治40年)5月、靖国神社でおこなわれた臨時大勅祭で、観覧車が展示されたことがわかっています。日本で初めて観覧車が登場するのは1906年、大阪の博覧会ですが、2番目は1907年の東京勧業博覧会、3番目が靖国神社でした。いまの九段坂を登り、境内に入ってすぐ左手に置かれました。
写真の観覧車のカゴを見てもらうと、椅子がありません。明治の観覧車は、ほとんどが立って乗る形式でした。記録によると、この観覧車は動力にガスや電気を使う予定だったのですが、許可が下りず、人力で動かしたようです。
観覧車を動かす方法はいろいろあるのですが、初期はチェーン駆動方式が多くなります。チェーンを人力でたぐって動かしたのか、ハンドルを使って勢いよく回したのか、あまり詳しいことはわかっていません。
この頃の観覧車は、海外由来の珍しいものとして集客力があったのでしょう。当時は大人も興味津々で、年令に関係なく乗り込んだようです」
福井さんが日本における観覧車の起源を調べ始めた当初、靖国神社のものを含め、明治期の観覧車はすべて輸入品と見られていた。しかし最近になって、これらが国産だと判明する。
「明治期に設置された観覧車は5基あるのですが、東京勧業博覧会の第1会場(上野公園・竹の台)に設置された観覧車が国産だとわかりました。
1907年7月の『東京日日新聞』には、観覧車の営業側と製造側で訴訟になったことが記載されているのです。観覧車が国産であることの裏付けです。
考えてみれば、明治期の観覧車によく見られる立ち乗り式のカゴは、海外の観覧車にはないタイプです。すでに鉄道も走っている時代ですし、明治の日本には、これだけのものを作る技術があったということでしょう」
※写真提供:福井優子