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125年前に起きた東北の巨大津波…たった1人で被害を記録した男がいた/6月15日の話

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.06.15 07:00 最終更新日:2021.06.15 07:00

125年前に起きた東北の巨大津波…たった1人で被害を記録した男がいた/6月15日の話

『岩手県青森県宮城県大海嘯画報』(東京大学総合図書館所蔵)

 

 観測史上、日本で最も大きな津波は、2011年3月11日の東日本大震災で発生したものである。では、この次に大きな津波はいつ、どこで起きたのか。

 

 3.11以前、100年以上更新されることのなかった最大の津波は、1896年6月15日に発生した明治三陸地震によるものだ。岩手県三陸沖を震源とし、地震にともなう大規模な津波により、死者2万2000人、家屋の流出は1万戸以上にものぼったとされる。

 

 

 この日、岩手県釜石市周辺は朝から曇り空だった。『南閉伊郡海嘯記事』によると、《6月15日は朝から曇天で、午後4時頃から雨が降ったが、海は静かであった。午後8時過ぎから大雨となった》とされている。地震発生は午後7時半頃。津波が陸を襲ったのは午後8時すぎで、人々は大雨のなか逃げねばならなかった。

 

 6月15日は、旧暦で端午の節句にあたる。地震が発生した時間帯は、一家そろってお祝いしていた家庭が多かったという。地震そのものはあまり大きく感じられなかったこともあり、多くの人々が逃げ遅れた。

 

 そうした明治三陸地震の津波被害を、たった1人で記録した男がいた。名前を山奈宗真という。山奈の故郷である遠野市立博物館の担当者に、話を聞いた。

 

「山奈は、江戸時代から続く武士の家系に生まれ、明治に入ってからは岩手で養蚕や牧場経営をおこなった実業家です。私設の農業試験所や図書館を開設するなど、殖産興業の指導者でもありました。明治三陸地震が発生したのは49歳と晩年の頃ですが、自ら津波の調査員となることを志願しました。被害の大きかった沿岸地域とのつながりも深く、一大事にいてもたってもいられなかったのでしょう。

 

 驚くべきは、7月30日に気仙村(現・陸前高田市)を出発し、9月8日に種市村(現・洋野町)に至るまでの約700kmを単身徒歩で踏査したことです。死者数や家屋の被害数、津波がどこまで襲ってきたのか、集落ひとつひとつに聞き込みし、図面に落とし込んでいきました。全集落を調査し終えるのに、40日ほどかかりました」

 

 山奈の資料には、被害状況だけでなく「漁村の新位置」「漁民将来の企望」といった項目や防潮林の有効性など、今後の対策や提案が盛り込まれていた。

 

「山奈は、調査録の原本を帝国図書館(現・国立国会図書館)に寄贈しています。最近の研究により、この記録はかなり正確で、貴重な第一級資料だと評価されていますが、残念ながら当時はあまりデータとして活用されませんでした」

 

 人々を絶望の淵に落とした災害も、時間がたてば忘れられていく。せっかくの津波記録も次第に忘れ去られるが、その後も山奈は地域農業の改善に努めている。1909年に亡くなったとき、遺品には官庁の辞令書87通、嘱託状100通、寄付の賞状100通、謝状32通などがあったという。

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