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なぜオリンピックは4年に一度の開催なのか…IOCの誕生/6月24日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.06.24 11:00 最終更新日:2021.06.24 11:00
1894年6月24日、パリの万国博覧会に際して開催された「スポーツ競技者連合」の会議が、最終日を迎えた。この前日、6月23日には国際オリンピック委員会(IOC)の設立が決まり、近代オリンピックの歴史が動き出すこととなる。
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オリンピックは、もともと古代ギリシャを中心にした宗教行事だったとされている。当時はゼウスをはじめとする多くの神々を崇める祭りであり、たとえ戦争中であっても、一時休戦して参加しなければならなかった。
歴史学者の濱田浩一郎さんが、こう語る。
「古代オリンピックは、当初8年周期で開かれていたものが、のちに半分の4年周期になったとされています。
理由は諸説ありますが、最も有力とされているのは、古代ギリシャ人と暦の関係です。
彼らは太陰暦と太陽暦の2つを活用していましたが、この2つの暦は少しずつ日がずれていきます。太陽暦の8年は、太陰暦でいう8年3カ月。このずれを利用して、オリンピックが開催されていたのです。
しかし、ギリシャがローマ帝国の支配下となり、392年にキリスト教がローマ帝国の国教に定められると、古代オリンピックは393年を最後に途絶えてしまいました。
それから約1500年後、フランスのクーベルタン男爵がオリンピック復興に乗り出し、今に続く国際的なスポーツ大会が生まれたのです」
クーベルタンは貴族の家系に生まれたものの、官僚や政治家といった道にはあまり関心がなく、むしろ教育に興味を持っていた。
20歳でイギリスのパブリックスクールを訪れたクーベルタンは、学生たちがスポーツに励む姿を見て衝撃を受ける。このときから「人の成長には肉体と精神の調和が必要だ」として、フランスにスポーツを取り入れた教育改革が必要だと考え始める。
「のちに世界各国を見て回ったクーベルタンは、世界中の人々がスポーツで交流するような、国際的な行事を目指すようになります。
19世紀にギリシャのオリンピアで遺跡が発掘され、ちょうど古代オリンピックに対する注目も高まっていた時期でした。
1892年、クーベルタンは『ルネッサンス・オリンピック』という講演で、オリンピックの復興構想を語ります。
2年後にこの構想が認められ、IOCが設立されるに至りました。スポーツ競技者連合会議の終わりに、第1回大会をアテネで開催すること、大会は4年周期で開催すること、毎回開催地を変えることなど、さまざまな条項が決まりました」
1896年に開催された第1回大会は大成功に終わる。次第に国際社会に認知されていったオリンピックだが、世界を巻き込んだ行事だけに、戦争や各国の政治事情に左右されるようにもなった。いっときはボイコットされる事態も起きている。
クーベルタンが提唱したのは、「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍などさまざまな差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」というものだ。 東京オリンピックでも、この理想が果たされることを期待したい。
写真:Colorsport/アフロ