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東京都誕生…初代長官の仕事は「猛獣処分」と「糞尿処理」/7月1日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.07.01 11:00 最終更新日:2021.07.01 11:00
1943年(昭和18年)7月1日、「東京都制」が施行され、東京都が設置された。これにより、長らく問題になっていた東京府と東京市の二重行政が一本化される。
当時、第2次世界大戦は本格化しており、あちこちに戦争ムードが立ち込めていた。前年4月18日には、いわゆるドーリットル空襲で、東京が初めて空爆されている。そうした厳しい状況下、初代の東京都長官(現・都知事)に就任したのは、福井県知事、満州国総務庁長、昭南(日本占領時のシンガポール)特別市長などを務めた、大達茂雄だった。
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歴史研究家の濱田浩一郎さんが、こう語る。
「1943年に初代長官となった大達は、任期は1年と短いものでしたが、いくつかの印象的な政策をおこなっています。就任から約1カ月後には、アメリカ軍による空襲に備えるため、上野動物園に猛獣たちの処分を命じるのです。最終的には、ゾウやライオンなど27頭が処分されるに至りました。この話は、『かわいそうなぞう』という絵本の原案になっています。
大達は長官になる直前の1年ほど、シンガポールで陸軍司政長官を経験しています。戦局が悪化しつつあることは把握していたのでしょう。当時、上野動物園の園長だった古賀忠道さんは、『目的は動物を処分するというより、国民に戦争の厳しさを自覚させることだったのでは』と自身のエッセイで推察されています」
1944年には、西武鉄道の協力のもと、都市部から郊外へ糞尿輸送を実施している。
「太平洋戦争の真っただ中ですから、都市部での糞尿のくみ取りや運搬に必要な人手も物資も足りず、なかなか処理が進まない問題がありました。打開策として、東京都は鉄道を管理していた運輸通信省に協力を要請。要請に応じた西武鉄道が大規模な糞尿輸送を開始し、郊外の農家へ糞尿を肥料として売りこみました。さまざまな意味を込めて『黄金列車』と呼ばれたようです」
戦時中、食糧難が迫り、世の中が暗くなるなか、大達は都民に向けてこう語っている。
《日本人というものは陽気な国民でありまして、日本の神様は陽気なことがお好きである。お祭り騒ぎと申しまするが、つまり騒がなければお祭りにならん。日本人は陽気でなければいけないのです》(『決戦の都民生活』、1944年)
大達は、第2次世界大戦が終わるとA級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに収容されたが、不起訴となった。第5次吉田内閣で文部大臣を務めたときは、戦争の悲惨さを描いた映画『二十四の瞳』(木下惠介監督)を見て感激し、新聞に「大達文相の目にも涙」と書かれた。そのおかげで、『二十四の瞳』は「文部省特選」の栄誉を与えられる。
強面で知られる一方、その人間くささで、庶民からも人気があった大達は、1955年、胃がんのため63歳でその生涯を閉じた。
写真・朝日新聞