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世界初のジェット旅客機、2度の空中分解で会社消滅/7月8日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.07.08 11:00 最終更新日:2021.07.08 11:00
1952年7月8日、イギリスのデ・ハビランド社が開発した、世界初のジェット旅客機「コメット号」が羽田空港に着陸した。ロンドンから東京までテスト飛行したコメット号を一目見ようと、空港には多くの人々が押し寄せた。
いま有名な航空機メーカーといえば、アメリカのボーイング社、ヨーロッパのエアバス社が真っ先に浮かぶ。
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だが、かつてイギリスやドイツにもさまざまな航空機メーカーがあり、そのなかでもデ・ハビランド社は、ジェット機を初めて世に出したことで名をはせた。
元大手航空機機内装備品メーカー日本代表の、三村典久さんがこう語る。
「ジェット機は燃料をより効率的に使って推進力を得るために、プロペラ機より高い高度を飛ぶものです。高度が上がれば、当然空気は薄くなっていきますから、機内で人間が生存できるように、飛行機の構造を含め、多数の新技術が使われました。
最も画期的だったのは、機内の気圧を調節できる『与圧キャビン』を搭載したことです。
飛行機は風船みたいな構造だと思えばわかりやすいでしょう。空を上下しても機内の圧力が一定になるよう、微妙に膨らんだりしぼんだりします。外からの圧力が強ければ飛行機は膨らみ、圧力が弱くなればしぼむのです。
与圧キャビンの導入により、かなりの上空であっても、人間が快適に過ごせる空間を維持できるようになりました。
日頃私たちが暮らしている地上が1気圧だとすると、機内のちょうどいい気圧は0.8気圧と、約20%ほど低く設定されています。
おもしろいもので、かつては飛行機のなかでお米を炊こうとすると、圧力が弱く芯が残ってしまったんですよ。いまは技術が進んで炊けるようになりましたけどね」
コメット号は1952年から本格的に運航を始める。イギリス王室メンバーの海外訪問にも使用され、アメリカの航空会社から発注を受けるなど、滑り出しは順調だった。
しかし、当時最先端とされていた技術は、まだ世に出すのは早かったのかもしれない。
就航からわずか2年後の1954年、イタリア付近で金属疲労によって機体が空中分解し、乗客35名が全員死亡する事故が起きた。問題とされた部分を直して運航を再開したが、すぐに2機目の空中分解が起きてしまった。
「徹底的な調査の結果、問題となった金属疲労の原因の1つに、窓の形が影響していることがわかりました。むかし、飛行機の窓は四角い形をしていたのですが、いまはどこも楕円形ですよね。
窓の形を四角にすると、機体が膨張と収縮を繰り返すとき四隅に力がかかり、金属疲労が起こりやすくなるんです。痛ましい事故が起きたことで、こうした事実がわかってきました。
デ・ハビランド社は、その後、窓を丸くしたタイプも出しますが、過去の経緯もあり売れ行きは悪く、1959年には会社が買収されてしまいました。
それでも、コメット号が航空史に名を残す革新的な機体であったことは疑いようがありません。
現在はボーイング787やエアバスA350など新しい機体がどんどん登場し、当時では考えられないほど快適な空の旅が実現されてます。これもこうした先人たちの技術革新があってこそ、といえるでしょう」
写真・朝日新聞