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男を誘惑してカネを奪い取る…「血桜団」に「ハート団」不良女が闊歩した時代/7月12日の話

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.07.12 10:00 最終更新日:2021.07.12 16:38

男を誘惑してカネを奪い取る…「血桜団」に「ハート団」不良女が闊歩した時代/7月12日の話

東京・有楽町の日劇前にたたずむ「やみの女」

 

 1946年7月12日、警視庁が女性不良集団「血桜団」のメンバー38人を検挙した。血桜団は戦前から続く不良グループの一つで、窃盗や売春を繰り返していたという。

 

 いつの時代にも、うっぷんを抱えた少年少女たちはいたようだ。特に日清戦争が終わると、戦勝景気で学生が都市に増加したこともあり、不良少年らが続出。その後、明治時代の後半から大正時代にかけて、不良少女集団と呼ばれるグループが世間を騒がせるようになった。

 

 

 近代を生きた不良少女たちに詳しく、『明治大正昭和不良少女伝』の著書もある文筆家・平山亜佐子さんに話を聞いた。

 

「明治から大正にかけて欧米文化が流入し、インフラも整備され、雑誌や映画などのメディアが急速に発展したことで、少年少女たちも大きく影響を受けたのでしょう。

 

 明治中期頃から不良少女たちの事件記事が見られるようになりますが、『不良(少女)』という表現は大正頃からのことで、それ以前は『悪少女団』や『女愚連隊』、個人の場合は『莫連(ばくれん)女』などと呼ばれています。

 

 なにをもって不良と見なすのかも、時代によって少しずつ変わっています。明治期には俳優に入れあげたり、遊び歩いたり、当時の女性像の規範に沿わない女子を莫連女、悪少女と見なしていました。

 

 明治末期から大正にかけては、盛り場をうろつき、女優にあこがれて出奔するなど思春期らしい行動をとる少女から、いわゆる犯罪(万引き、売春、美人局など)に手を染める少女までが『不良』に含まれるなど、その定義はさまざまでした」

 

 不良の世界に飛び込む子供たちの背景はさまざまだった。映画で見た世界に惹きつけられたといった軽い理由もあれば、両親が不仲だったり、継母にいじめられたりと、それなりの理由を持つ子もいる。あるいは、不良少年らに脅され言いなりになっていくうち、悪事に手を染めた子もいた。

 

 彼らはグループ名にこだわりを持ち、「ガルボの○○」「隼の○○」など、自ら二つ名を名乗るスタイルが多かった。世間を騒がせた有名なグループもあったという。

 

「1946年に検挙されたのは『血桜団』という少女団ですが、戦前にも同名のグループはいくつかありました。不良少年少女団は上下関係があったり、役割分担をしたりと基本的には組織だった活動をしていたようです。

 

 他にも、昼は丸ビルでタイピスト、夜は不良少女のリーダーだった『ジャンダークのおきみ』こと林きみ子率いる『ハート団』がよく知られています。

 

 メンバーたちと男性を誘惑して金品を巻き上げるほか、美人局のようなことをしていました。きみ子は丸ビル一の美人と評判で、1924年に検挙されたときはビルに野次馬が押しかけてきて大変な騒ぎになったそうです。

 

 明治の頃にいた『銀杏返し組』はまたひと味違い、婦女子を誘惑する書生たちを成敗する、という目的をもって活動していました。後の少女団と違い、ある種、硬派なグループだったのです。

 

 また、昭和2年に検挙された『血ユリ団』の来歴は少し変わっています。リーダーの川本百合子はもともと女優を目指していたのですが、現役女優に思いとどまるよう諭されて激怒、『今後、不良少年少女のいっぱしの団長になる』と捨て台詞を吐いて去っていきます。

 

 3カ月後には、カフェーの女給をしながら30人ほどの団員を率いて映画館やレビュー館に出入りする190名もの人々から金を窃取していました。そのパワーを他のところに向けていれば……と思わされますね」

 

 いまでこそ二つ名の文化まではあまり見かけないものの、不良少女と呼ばれる子供たちは後を絶たない。明治から令和に時代が移っても、子供たちの “青い反抗” は形を変えて続いている。

 

写真・朝日新聞

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