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日本初の駅弁はおにぎり2つ…3年後に幕の内弁当に進化/7月16日の話

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.07.16 11:00 最終更新日:2021.07.16 11:00

日本初の駅弁はおにぎり2つ…3年後に幕の内弁当に進化/7月16日の話

1902年の駅弁販売光景

 

 1885年(明治18年)7月16日、栃木県の宇都宮駅で、旅館「白木屋」により日本初の駅弁が売り出された。おにぎり2個とたくあん2切れを竹の皮で包み、5銭で販売されたという。

 

 現時点では宇都宮の駅弁が日本初とされているが、実際には諸説あるのだという。元日本鉄道構内営業中央会事務局長の沼本忠次さんが、こう語る。

 

 

「1885年は、日本鉄道の上野〜宇都宮間が開業した年なんです。そこで、駅前で旅館を営んでいた白木屋が、鉄道当局から『駅弁を売らないか』とお願いされたのが駅弁誕生のきっかけとされています。

 

 私も10年ほどかけて調べてきたのですが、駅弁の発祥地については10個ほど説があります。明治10年の神戸が最初だとか、栃木の小山や郡山などさまざまですが、白木屋の人が長々と話している記述が残っていることもあり、最近ではすっかり宇都宮説が定着しています」

 

 いまでこそ駅弁の種類も豊富になり、地元の特産品で勝負したり、具材の多さ・華やかさにこだわったりと多種多様だが、初期の駅弁は、どこもおにぎりがメインだったという。

 

「小田原の東華軒という会社も早い時期から駅弁を売っていましたが、やはりここもおにぎりを売っていました。おにぎりは日本の道中食ですから、通気性のいい竹の皮に包んで腰に巻いて旅に出るのが、当時は当たり前だったんです。

 

 1888年(明治21年)になると兵庫〜姫路間に山陽鉄道が開業し、翌年から姫路のまねき食品という会社が幕の内お弁当を売るようになりました。

 

 いまでは定番となっている幕の内弁当の原点で、地元の食材を使い、彩りも工夫したものでした。

 

 とはいえ、12銭という高い値段設定でしたから、最初はあまり売れませんでした。そもそも、当時白いご飯を食べられる人はごく一部の人でしたしね。売れ行きが安定するのは、大正から昭和にかけての頃だったそうです。

 

 鉄道が全国に延びていくにつれ、静岡の鯛めしや、大船のアジの押し寿司、米沢では米沢牛を使ったお弁当など、各地で地元の名産品を入れたお弁当が登場します。

 

 昭和30年代は、みんなが豊かになり、旅行が盛んになった時代でした。この頃、崎陽軒のシウマイ弁当のように、ロングセラーになる弁当がたくさん出たんです」

 

 最近は、コロナ禍で出張や旅行もままならず、駅弁業界も苦しい状況に追い込まれているという。

 

「私もいろいろな駅弁業者さんと話しますが、いまは厳しいという話ばかりです。まあでも、こんな状況は長く続きません。コロナが終息し、いつかまた旅行に出られる日がやってくるでしょう。その日のためにも、いまが一番の踏ん張りどころだと思います」

 

写真・アメリカ議会図書館

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