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トップレス水着、1964年の東京五輪を前に禁止となる/7月20日の話

社会・政治 投稿日:2021.07.20 11:30FLASH編集部

トップレス水着、1964年の東京五輪を前に禁止となる/7月20日の話

トップレスが禁止されバックレスに

 

 1964年7月20日、警視庁は「トップレス水着」を海水浴場やプールなどで着用することを軽犯罪とし、取り締まる方針を明らかにした。

 

 同年6月には、水着デザイナーのルディ・ガーンライヒが、トップレス水着「モノキニ」を発表し、世界中に衝撃を与えていた。こうしたトップレス流行の兆しがあったことから、国内での影響を鑑み、取り締まりの声明を出すに至った。数カ月後に迫った東京オリンピックへの悪影響も加味したとされている。

 

 

 しかし、日本で海水浴が始まった当初、人々の装いはトップレスどころではなかったようだ。歴史学者の濱田浩一郎さんがこう語る。

 

「日本で海水浴がおこなわれるようになったのは、幕末から明治にかけての頃だとされています。初代陸軍軍医総監の松本順は、オランダ人医師のポンぺに師事し、海水浴を使った医療を学んだのです。陸軍を退官した松本は、海水浴に最適な海を探した末、1885年に大磯で海水浴場を開設しています。

 

 はじめは行楽というより、海に体を浸すことで病気を治療する、一種の医療行為として広まりました。海水による洗浄効果や、自律神経の改善などが期待されたのです。いわば湯治のようなものです。ですから、人々の格好も男女問わず全裸やふんどし、腰巻だけといったものが多かったようです」

 

 しかし、明治政府は文明国として欧米列強に認められるべく、男女の混浴を禁止するなど、「裸は恥ずかしいもの」とする意識を植えつけていった。そうした背景もあり、明治から大正の頃は、ワンピースのような形をした、縞模様の水着を着た女性らが登場するようになる。「シマウマ」と呼ばれ、大正初期まで流行した。

 

「鉄道の普及により、海水浴は徐々に行楽の主流になっていきました。と同時に、日本の女性たちが洋装を受け入れ始めたことで、昭和の時代にかけて水着の種類が多様化していきます。袖がなくなったり、丈がだんだん短くなっていったりして、徐々に現在の水着の形になっていったのです」

 

 ちなみに、1964年にトップレスが禁止されると、次は背中丸出しの “バックレス” の水着が登場することになる。実際、1965年1月に東京タワーで開催された水着ショーでは、背中が大きく開いた水着が話題を呼んだ(冒頭の写真)。

 

 裸についての価値観は、現在でも世界のあちこちで二転三転している。海外のビーチではトップレスで日光浴する人々も多い。2019年、フランスの調査会社「Ifop」がヨーロッパで5000人を対象におこなった調査によれば、スペイン女性のほぼ半数、ドイツ人女性の3割がトップレスで日光浴をおこなうと回答した。

 

 これから100年、200年後には、案外日本でも裸に対する考え方が変わっているかもしれない。

 

写真・朝日新聞

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