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日本赤軍を作った重信房子の苛烈な人生「国際テロの魔女」と呼ばれて/7月23日の話

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.07.23 11:00 最終更新日:2021.07.23 11:00

日本赤軍を作った重信房子の苛烈な人生「国際テロの魔女」と呼ばれて/7月23日の話 

 

 日本赤軍の最高幹部だった重信房子の出所日が、来年に迫っている。
 1974年、日本赤軍のメンバーは、オランダのハーグにあるフランス大使館に立て籠もり、逮捕されていたメンバーの解放を要求した。テロに屈した当局は要求を飲み、メンバーはシリアに逃亡する。事件に関与していたとされる重信も長く逃亡を続けたが、後に偽造旅券を使って日本に入国し、大阪に潜伏。ついに2000年に逮捕された。

 

「国際テロの魔女」と呼ばれる重信は、いったいどのような人物なのか。

 

 

「明治大学文学部の夜間に通っていた重信は、学生運動をきっかけに『共産主義者同盟赤軍派』という左翼グループに加入します。長い黒髪におしゃれなファッション。そして、雄弁部に所属していたこともあって演説がうまく、カリスマ性も高かったことから、徐々に組織の中心人物になっていきました。人心掌握術が魔法のように上手かったことから、『魔女』と呼ばれるようになりました」

 

 こう語るのは、歴史学者の濱田浩一郎さんだ。

 

「過激さを増した『共産主義者同盟赤軍派』の一部メンバーは、1970年、日本で初めてハイジャックを起こします。いわゆるよど号ハイジャック事件で、北朝鮮への亡命を図るのです。これは共産主義思想を持った学生たちが、発展途上国などに拠点を築き、革命を起こすべきだとする『国際根拠地論』を掲げたことの一環です。重信も、1971年に中東のパレスチナに赤軍派の基地を作ろうとし、現地で『日本赤軍』を結成するのです」

 

 1973年7月23日、ドバイ空港の滑走路を、日航404便が飛び立った。この飛行機こそ、日本赤軍が初めておこなったハイジャック機で、リビア空港に着陸後、すぐに爆破されている。実は、よど号ハイジャック事件によって、日本には「ハイジャック防止法」ができていた。しかし、日本政府はハイジャックへの関心が低く、404便でも荷物検査はなかったという。

 

 日本赤軍は、ドバイ日航機ハイジャック事件やハーグ事件以外にも、イスラエル・テルアビブ空港乱射事件(1972年5月)、在クウェート日本大使館占拠事件(1974年2月)、ダッカ日航機ハイジャック事件(1977年9月)など数多くのテロを起こしている。

 

「1972年の乱射事件が起きた当時、パレスチナでは、占領するイスラエルとそれに抵抗するパレスチナ解放機構との対立が激化していました。重信たちはパレスチナ解放闘争を始めますが、その過程で数多くの民間人を巻き込み、無差別テロ実行犯として、国際社会から激しく非難されました。同時に、中東の石油に依存しながら現地の政情に無関心だった日本政府が、中東問題に真剣に向き合うきっかけにもなるのです」

 

 ハーグ事件で懲役20年となった重信は、2022年に刑期満了で出所予定だ。2001年4月、重信は獄中から日本赤軍の解散を表明しているが、現在も乱射事件の実行犯7人が国際手配中である。

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