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警官を殺して立てこもった18歳、渋谷のど真ん中で銃を乱射する/7月29日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.07.29 10:00 最終更新日:2021.07.29 10:06
1965年7月29日、当時18歳の少年Aが警官をライフル銃で射殺し、渋谷の鉄砲店に立てこもる事件が起きた。Aは人質を取りながら発砲し、約1時間半にわたり警察と銃撃戦を繰り広げた末、催涙ガスによって動きを封じられて逮捕された。
事の始まりは、神奈川座間町の松林で起きた。この日午前中、Aは人目につきにくい松林でスズメを撃っていたところを職質される。所持していたライフル銃で警官1人を射殺し、制服を奪って車で都内に逃走。渋谷に移動し、午後6時頃に「ロイヤル鉄砲火薬店」に押し入った。
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歴史学者の濱田浩一郎さんが、こう語る。
「弾を補充したAは、店員たちを人質に取りながら、店を取り囲んだ警官隊に向かって銃を乱射しました。Aが立てこもった店は、ちょうど山手線が裏に通っている立地でしたから、内回り外回りとも、山手線は運転停止の措置が取られています。
この緊急事態に、600人ほどの警官が動員されました。最後は催涙ガスによってAを店外にあぶり出し、9人がかりで取り押さえたようです」
Aは内気な性格だったが、少年時代から銃や兵器に強い興味を持っていた。中学卒業後、自衛隊に志願したが試験で落ち、やむなく自動車修理工場へ働きに出た。その後、船舶会社に転職するが、長続きせずやめている。18歳になると、中学卒業時に家族から贈られたライフル銃を自分名義に書き換え、貯金をはたいて散弾銃も手に入れた。週に一度は射撃訓練所に通い、腕を磨いていたという。
取り調べでは、「いろんな銃を撃つことができて、たまっていたものを全部吐き出せ、スカッとした」と、反省の色は見られない受け答えをしていた。裁判でも「社会に出れば、また銃を乱射しないという自信はない」と語り、1969年、最高裁で死刑が確定した。
3年後、死刑が執行された。25歳になっていたAは、執行の直前、最後の頼みを教誨師(きょうかいし)に伝えている。
「僕は親不孝の許しを乞い、被害者の方の冥福を祈りながら静かに死んでいきます。でも、僕のような人間が2度と出ないように、この最後のつらさ、苦しさの心境だけは若者たちに伝えてください。
自分との闘いに負けた人間の最後のあわれな姿、自分で自分の首を絞めるようなもので、こんな人間にだけはなるなと教えてやってください。先生、死刑囚になった人間の教誨より、罪を犯さない人間を育てるために教誨してください。これが、僕の最後の頼みです」