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女にハマった坊主と上役、グルになって賽銭横領/8月12日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.08.12 11:00 最終更新日:2021.08.12 11:00
1910年(明治43年)8月12日、「深川のお不動さん」として知られる深川不動堂で、僧侶たちによる賽銭横領が起きたことが報じられた。会計監督以下8名が取り調べを受け、盗んだ額は10万円以上にのぼったという。
明治時代、現在の江東区富岡に旧本堂が建てられ、日々賑わっていた深川不動。当時からお参りする人たちは多く、賽銭も1カ月で1000円を超すほどだった。初任給が月40円から50円の時代だから、かなりの額だ。
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いったいなぜ、巨額の賽銭を横領することができたのか。歴史学者の濱田浩一郎さんが、こう語る。
「事件が発覚したのは、若手の書記の夜遊びが原因だったようです。当時の深川不動からほど近い場所に、洲崎遊郭という、吉原に匹敵する遊郭がありました。
そこの妓楼にいた千鳥という娼妓に書記がいれあげ、毎月40~50円ほど浪費していたことを、洲崎署の刑事が聞き知ったのです。書記の給料は毎月12円程度でしたから、どうもおかしいということで、刑事が動きました。
9日の夜、妓楼を訪ねてきた書記を取り押さえたところ、同僚らと共謀し、賽銭箱からたびたび賽銭を盗んでいたことを自白しました。五升ざるですくったと記録にありますから、毎回そこそこの量を盗んでいたのでしょう」
若い過ちかと思いきや、話はここで終わらなかった。
「翌日には、会計監督を担当していた役僧らも結託し、20年以上にわたって賽銭を盗んでいたことがわかりました。本山の成田には虚偽報告でやり過ごしていたとか。
50代~70代などの年長者も一緒になって賽銭横領に加担しており、8名が洲崎署へ連行されました」
賽銭泥棒はよく耳にするが、賽銭横領は珍しい……かと思いきや、2019年には三重県の護国神社で玉串料約10万円、賽銭2万5000円を着服した宮司の事件が報じられている。
今も昔も、カネで身を滅ぼす人間は多いのだ。