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注目の若手論客! 斎藤幸平「共産主義のすすめ」(4)過度な分業を廃止して労働に喜びを…企業を「コモン化」せよ
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.08.13 11:00 最終更新日:2021.08.13 11:00
いくら稼いでもモノを買っても満たされない、持つ者と持たざる者の分断は深まる一方、技術が発展すれど一向に労働時間は減らない…現代社会を蝕む病を克服するには資本主義をやめよ! そう説くのは、30万部超えのベストセラー『人新世の「資本論」』(集英社新書)を刊行し、今最も注目を集める経済思想家の斎藤幸平氏だ。
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斎藤氏が提示する「脱成長」という概念は、果たして人類を救うカギとなるのか。可能性を尋ねた。
ーー経済成長をせずに私たちはどうやって生活していくのでしょう?
経済成長をしなくても、私たちの社会にはすでに十分な富を存在していますし、そのための技術や生産力も手にしています。一方、これ以上、利潤を求めて経済成長することは、地球環境の修復不可能な破壊につながる。これが、私の呼ぶ「人新世」の危機というものです。「人新世」とは、人間の過剰な生産力が生んだ人工物が地球の表面を覆い尽くしたという意味の地質学上の時代区分で、人類が地球を破壊しつつあることに警鐘を鳴らすものです。
しかも、私たちが破壊しているのは地球環境だけではありません。私たちはいま大して必要のないことにものすごくお金とエネルギーを使っていて さらにそのせいで絶えざる不安やストレスにもさらされ、全く幸せになっていない。鬱になったり、体調を崩したり、自分たちの人生も破壊しているのです。
例えば、企業はさして進歩もしてないのにモデルチェンジをし、それを宣伝するために、大量に広告を打ち、本来は必要のない流行を生み出しています。たとえば洋服も、少なくとも数年は問題なく着れるものを流行遅れになったとワンシーズンで捨ててしまうことがある。気に入って買った服のはずなのに、新商品が出るとすぐに時代遅れであると感じてしまい、不幸にもなっている。こうした悪循環のサイクルから抜け出せば、広告にあおられるストレスから私たちは解放され、むしろ幸せになる可能性があります。
ところが、その可能性を真剣に考えている専門家や事業家が今の社会ではあまりにも少ない。どんなマーケティングを行って製品開発するかとか、いかに有効な広告を打つかとか、私たちの思考は経済成長や市場原理に取り込まれてしまっているのです。だから、「経済成長をスローダウンさせよう」というような話を聞くと、「貧しくなるのはいやだ」とか、「みんなでぼろきれを着て農村で暮らせというのか」という反発をしたくなる。
しかし、私はそんな極端な話をしているわけではありません。ここ数十年のうちに規模が大きくなりすぎたものをスケールダウンしていく、要らないものを減らしていくということが、むしろ様々な豊かさや生活のゆとりをもたらしますよ、と言っているのです。
スケールダウンをしなければ、技術革新が起きても、私たちの労働時間は減りません。マルクスの時代と比べたら機械の発展は目覚ましいにもかかわらず、私たちの労働時感は当時と同等かそれ以上です。そのおかしさに多くの人が気づけば、社会は変わってくるはずです。
ーーそうすると失業が発生するのでは?
今まで「100」の量を作っていたところを「70」に減らせば、100人の労働者のうち30人はいらなくなるのではないかと思われるかもしれませんが、これは各人の労働時間を減らしていくことで対応できます。また、私たちの生活はすでに十分満ち足りていて、生産性も確実に上がっているので、生産量を3割カットし、いままで週40時間働いていたところを25時間とか30時間しか働かなくとも、十分生きていけるはずです。
生産量を減らし、残りの仕事をワークシェアすることによって、よりつらい労働から解放されるだけではなく、空いた時間で自炊をしたり、これまで女性が一方的に担っていたことを男性もやる機会が増えたり、逆に女性も働きやすくなったり、スポーツをしたり、勉強会をしたりすることができ、社会に余裕や豊かさが生まれます。
それとは反対に、資本主義は絶えず100、それどころか、120、130をつくるということを要求するので、私たちは週40時間以上働いてしまう。これまでの歴史が示しているように、いくら技術革新をしても労働時間は減りません。どれだけオートメーション化が進んでも減らなかった。労働者の地位が切り崩され非正規雇用が増えていっただけです。どこかで資本主義的競争に歯止めをかけることで、人々の余暇を増やし、もっと別の意味での豊かな生活の可能性が切り開かれていくんじゃないか。しかもこれはすぐできる。そもそもいらないものを作っていることを認めれば、3割くらいは数年内に減らせます。
今の技術のもとでもすでに十分豊かだと認めさえすれば、労働時間も環境負荷も減らすことができる。労働者たちの平等性や幸福と、社会の持続可能性を両立させることは、技術だけに頼らなくてもすぐにできるということを私は訴えたいのです。
ーー労働時間を減らせばいいのでしょうか。
いえ、それだけでは足りません。現在の株式会社の意思決定は、業績を伸ばすことを目的に行われますが、それとは違う働き方を実現していく必要があります。つまり、労働者たちが経営に参加する「社会的所有」です。何を作るか、どういう会社にしたいか、労働時間や余暇をどれくらいにするか、全て従業員自らがデザインするのです。労働者が共同出資して生産手段を共有し、自分たちで会社の目標や働き方を決める労働者協同組合という形に私は注目していますが、経営の意思決定の民主化は大企業でも可能です。
そうして会社の意思決定に民主化をもたらすと、やがて経済活動はスローダウンしていく。生産性や効率性は落ちますが、ただ、このトレードオフは環境保全や働き方の観点で望ましいのです。これがすなわち会社のコモン(共有資産)化ということなのですが、それをやらないとかつてのソ連の国有化の失敗を繰り返すことになる。
さらに、マルクスの言葉を使えば『「構想」と「実行」の統一』を並行して推し進める必要があり、そのためには、過度な分業を廃止していく必要があります。これはつまり、労働を楽しいものにしていくということです。これは、ユーゴスラビアなどのソ連とは違う形の社会主義を目指した国でもできなかった会社のコモン化です。
仮に世の中の車の全てが電気自動車に置き換わって二酸化炭素が出なくなったとしても、それを生産する工場で二酸化炭素が多く発生したり、非正規労働者が雇われたり、パワハラやセクハラが横行したりすると全く意味がない。会社の事業内容から社員の働き方まで同時に変えていくことが重要なのです。
さいとうこうへい
’87年生まれ 経済思想史研究者。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。