社会・政治
日本の “敗戦” を阻止せよ!陸軍将校たちがクーデター起こす/8月15日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.08.15 13:00 最終更新日:2021.08.15 13:03
1945年8月15日の正午、ラジオから時報が流れ、「ただいまより重大なる放送があります。全国の聴取者のみなさま、ご起立願います」と声が流れた。ラジオのもとに集まった国民たちは、昭和天皇による「終戦の詔勅」を聞き、長い戦争が終わったことを知らされる。いわゆる玉音放送だ。
ポツダム宣言を受諾することが決まったのは、8月9日に開かれた御前会議でのことだった。外務大臣や枢密院議長らが終戦を主張し、阿南惟幾(これちか)陸軍大臣や海軍大臣らは終戦に断固反対の姿勢を見せる。まとまらない場は、昭和天皇による「堪えがたきこと、忍びがたきことであるが、この戦争をやめる決心をした」という涙ながらの言葉によって、約2時間半後に終わった。
【関連記事:炎上した「佐藤浩市」知られざる父・三國連太郎の戦争体験 】
中立国を通じて宣言の受諾が通告され、8月14日には「終戦の詔勅」の草案が練られ始めた。この詔勅を、昭和天皇がレコードに録音したものが放送されて玉音放送となる。だが、国民の耳に届くまで、裏では大きな騒動が起きていた。一部の陸軍将校らが、レコード盤を奪い、終戦を阻止せんとするクーデター「宮城事件」を起こしたのだ。
防衛問題研究家の桜林美佐さんが、こう語る。
「昭和天皇が終戦の詔勅を録音されている最中、陸軍の中佐や少佐が動きました。天皇と皇居の護衛にあたる近衛師団長のもとへ来た彼らは、『陛下が終戦を決意されたのは、側近にあやつられているからだ』と主張し、陛下と話をさせるよう交渉にきたのです。当然師団長は強く拒否したのですが、そのため青年将校らに殺されてしまいます。
将校たちは、そのまま師団長室から偽の命令を発し、近衛師団を総動員し、皇居を占拠します。そのうえでレコード盤を奪おうと宮内省のなかを探し回りますが、発見できませんでした。当時の東部軍司令官が、単身宮中に乗り込んで近衛兵たちを退去させ、クーデターは鎮圧されました」
将校らは二重橋前で自決。阿南陸軍大臣も、「一死万罪を謝し奉る」と書き残して自決した。
「阿南陸軍大臣は、終戦に反対していました。しかし、当時首相の書記官長だった迫水久常さんは、自身の講演で『阿南大臣は終戦を確実なものにするため、あえて終戦反対を叫んでいたのではないか』と推測しています。
終戦に賛成すれば将兵たちを抑えることができなくなるため、彼らを納得させるためにも自らの命と引き換えにクーデターを防いだ可能性が高く、その場合、内閣は代わりの陸軍大臣を用意する必要があります。もし陸軍が承認しなければ、内閣は総辞職となり、終戦は延期されてしまいます」
詔勅が録音されたレコード盤は、皇后宮職事務室から運び出されると、1枚は本命の放送会館へ、もう1枚は予備スタジオに無事届けられた。ラジオから流れる昭和天皇のお言葉を、国民はうなだれながら聞き入った。
「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す」
写真・朝日新聞