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バブル崩壊直後に登場した「ジュリアナ東京」わずか3年で消滅/8月31日の話
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.08.31 09:00 最終更新日:2021.08.31 09:00
1994年8月31日、一世を風靡した巨大ディスコ「ジュリアナ東京」が閉店した。最終日は無料開放され、1万人もの人々が入場待ちで並び、列は最寄りの田町駅まで続いていたという。
日本でディスコブームが始まったのは、1970年代からのことだ。そもそもは第2次世界大戦の最中、バンド演奏が禁止されたナイトクラブが、生演奏の代わりにレコードを流したことがきっかけとされている。1960年代後半には、渋谷の『クレイジースポット』や赤坂の『ムゲン』など、日本でも徐々にディスコの店が増えていく。
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歴史学者の濱田浩一郎さんが、こう語る。
「ディスコブームが押し寄せてきた当初、有名なディスコは新宿や赤坂に集まっていました。バブルが加速した1980年代から90年代初め頃になると、『マハラジャ』のように六本木や麻布に店が増える一方、『芝浦ゴールド』や『ジュリアナ東京』のように、芝浦周辺の空き倉庫に店が集中するようになります。ちょうどこの頃は、湾岸の再開発が進み、ウォーターフロントブームになりましたから。
ジュリアナ東京は、バブルの象徴というイメージが強いのですが、実際にはバブル崩壊直後の1991年5月15日に誕生します。とはいえバブルの余波は大きく、外国人DJのジョン・ロビンソンによるマイクパフォーマンスや、露出多めの女性たちが高さ130cmのお立ち台で踊る姿が話題を呼びました」
今でも言葉として残る「ワンレン・ボディコン」は、ジュリアナ東京で大流行したスタイルのことだ。女性たちが踊るときに身につける扇子はどんどん華やかになり、色とりどりの羽根つき扇子は「ジュリ扇」と呼ばれた。平日に1000人以上が詰めかけるさまはマスコミにもたびたび取り上げられ、お立ち台クイーン・荒木師匠(荒木久美子)というカリスマも生んでいる。
お立ち台で踊る女性たちの露出度の高さは、客足を増やす一方、世間からの批判も加速させた。次第に警察による指導が入るようになり、1993年11月には、お立ち台が撤去。徐々に勢いをなくし、ほどなくしてジュリアナ東京は閉店した。わずか3年ちょっとの “時代のあだ花” となった。
今年はジュリアナ東京の開店からちょうど30年。11月13日には、渋谷クラブキャメロットで、2日間限りのジュリアナ東京復活祭が開催される。
写真・朝日新聞