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宝くじ「勝札」軍事費の調達で発行されるも抽選前に終戦となって「負札」に/9月2日の話

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2021.09.02 11:00 最終更新日:2021.09.02 11:00

宝くじ「勝札」軍事費の調達で発行されるも抽選前に終戦となって「負札」に/9月2日の話

1945年7月の「勝札」(上)と、同年10月の第1回宝くじ

 

 1967年、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)が、9月2日を「宝くじの日」に制定した。当せんくじの時効を防ぐため、PRの一環として発表されたという。

 

 街のあちこちに宝くじ売り場があふれている現代だが、その歴史は古い。江戸時代の旅行記『東海道中膝栗毛』では、主人公の2人が天神橋の近くで「富札」、当時の宝くじにあたるものを拾った話が登場する。日本に宝くじが登場した時期について、歴史学者の濱田浩一郎さんがこう語る。

 

 

「宝くじの歴史は、江戸時代初期にまでさかのぼります。現在の大阪府箕面にある瀧安寺で、正月に参詣した人々が自分の名前を書いた札を箱に入れ、寺僧がそのなかから3人を選び出し、お守りを授けました。

 

 この行事は、いつしかお守りからお金に替わり、いっときは幕府から禁令が出されたほど流行します。その後も寺社の修繕費用を調達する名目で、富くじの発売が容認された時期もありましたが、江戸時代後期には禁止されてしまいます」

 

 明治期に富くじは登場せず、次は1944年、日中戦争の時代にいたる。政府は軍事費を調達するため、1枚10円で1等10万円の「勝札」を発売するが、抽選前に終戦となったことで「負札」と不名誉な呼ばれ方をすることになった。

 

「終戦から2カ月後には、戦後の激しいインフレを防止するため、『政府第1回宝くじ』を発売します。宝くじという名前が出たのは、このときが初めです。その後は、荒廃した地方自治体を復興させるべく、資金調達のために各都道府県が宝くじを発売できるようになりました。

 

 政府第1回宝くじの1等は10万円でしたが、2年後の第9回では特等が100万円と金額が跳ね上がります。政府宝くじは1954年に廃止されますが、地方自治体の宝くじもどんどん高額になり、1968年12月の全国自治体宝くじの1等は1000万円、1989年の年末ジャンボは1等と前後の各賞合わせて1億円でした」

 

 1998年におこなわれた「当せん金付証票法」の改正により、金額はさらに大きくなる。2015年には1等と前後の賞を合わせて、ついに10億円の大台を突破した。現状は、これが宝くじで得られる最高金額となる。

 

 億万長者へのチャンスを1枚の紙に託してみるのもいいかもしれない。

 

写真・朝日新聞

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