社会・政治
意外や意外「CIA」は「田中角栄」元首相を超小物扱いしていた
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2017.02.12 12:00 最終更新日:2017.02.12 12:00
アメリカの中央情報局(CIA)は、1月末、機密解除された文書およそ1300万ページをネットに公開した。公開された文書は1940年代から1990年代にかけてのもの。いったい、どんな秘密文書があるのか。
キーワードで「JAPAN」と入れると、3万3640もの文書がヒットする。あまりに多すぎるので、田中角栄(KAKUEI TANAKA)で検索すると、1182件がヒット。そのなかに、田中角栄が首相になった日の最初のレポートがあった。
安全保障を担当する大統領補佐官は、毎朝、世界各国の情勢変化を大統領に説明する「プレジデント・デイリー・ブリーフ」と呼ばれるレポートを作っている。その情報源はCIAだ。
第1次田中内閣が成立したのは、1972年7月6日。前日の選挙で当選が決まっているから、時差の関係で、CIAレポートも6日付になっている。当時の大統領はニクソンである。
文書には「いかに角栄が凄いか」と書かれているかと思いきや、レポートはわずか30行ほどしかない。
冒頭には「田中角栄新首相は、外交でも内政でも過激な政策は取らないだろう」とあり、「若さがポイントだが、コンセンサスを重視し、強固な官僚システムによって意思決定される日本社会ではうまく活躍できない」といったことが書かれている。
外交関係では、アメリカとの関係は日米安保のなかで「良好なまま」、関心があるのはソ連との経済協力くらいしか書かれておらず、正直、まったく内容のないものだ。
「デイリー・ブリーフ」は国際情勢をひと目で分かるようにまとめたものだから、内容がざっくりなのは仕方ない。それにしても、あまりに内容が薄い。
首相になって2カ月ほどたった9月、角栄は突如、中国を訪問し、日中国交正常化を実現させ、台湾を切り捨てた。さらに1年後にはソ連を訪問し、日ソ共同声明を発表。オイルショックが起きると、イスラエル支持からアラブ諸国支持に転換するなど、アメリカを驚愕させる政策を次々に断行した。
アメリカは角栄の想定外の行動に慌てふためき、ロッキード事件を起こしてハメたという陰謀論まで後にささやかれた。だが、当初、CIAはそうした動きをまったくといっていいほど把握できずにいたことがわかる。
CIAを擁護すれば、当時はベトナム戦争のさなかで、この日のレポートもベトナム情勢が最初に来ている。日本はベトナムに比べたら、はるかにどうでもいい国だったことは間違いない。
とはいえ、CIAレポートの信頼性が低いことは、これまでいくつも実例がある。
たとえば、三木武夫首相とフォード大統領が首脳会談した際、大統領は「アメリカはこれまでずいぶんあなたを誤解していた」と語っているし、村山富市首相とクリントン大統領が会談したときも「印象がまるで違う」と語ったことは大きなニュースとなった。CIAレポートのいい加減さがよくわかる話だ。
トランプ大統領は、選挙戦で「ロシアが選挙に介入した」という報告書を出したCIAを「ナチス」呼ばわりするなど、敵対姿勢を露わにしてきた。
だが、当選翌日にはCIA本部を公式訪問し、「あなた方を1000%支持する」と演説し、融和姿勢を見せた。これでCIA職員の怒りが収まったかどうかはわからない。
安倍首相と首脳会談を控えたトランプ大統領は、おそらくCIAの「安倍レポート」を熟読したことだろう。いったいそこにはなんと書いてあったのだろうか?