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北朝鮮元幹部が明かした“拉致被害者8人の生存情報”

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2013.06.13 07:00 最終更新日:2016.03.01 22:22

「コリア・レポート」編集長の辺真一氏は昨年の11月下旬、北朝鮮拉致被害者に関する新たな証言を得ていた。証言者は、辺氏に10年近く前から北朝鮮情報を提供してくれた信頼すべき情報源だという。

 

 脱北した北朝鮮・国家安全保衛部の元幹部、とだけ教えてくれた。「けっして公にしないこと」が証言の条件だったのだが、今回、証言を公開することに同意を得たそうだ。「松本京子さんは生きている」、元幹部は辺氏にそう明言したという。

 

「咸鏡北道清津市の護衛総局管轄の施設にいる。彼女の北朝鮮での名前は、『キム・ヨンスン』だ。彼女が清津連絡所から来たということは突き止めた。清津連絡所にいた日本人は松本京子さんしかいない。彼女は70代半ばのもうひとりの日本の女性と一緒にいる」

 

――彼女たちがいる施設とは?

 

「以前は保養所だった。いまは正確な名前は不明だが、周辺の人々は精神病院とみなしている。この施設は私の仲間が肉眼で確かめた。道路から中が見える。昼間、施設内の庭に2人の女性がいた。高齢の女性は、草か何かをむしっていたそうだ。完全に痴呆状態で髪もザンバラだった。もうひとりは椅子に座って、編み物をしていた。この女性が松本さんだ」

 

 松本京子さんは’77年10月、「編み物教室に行く」と言って米子市の自宅を出て拉致された。“編み物”というキーワードが符合している。松本さんは軽いうつ病で治療をうけており、自分の言ったことを忘れてしまうという。施設のある場所を尋ねると、証言者はグーグルマップで1点を指さした。北緯41度78分、統計129度58分。

 

――日本人の生存者はほかにもまだいるのか?

 

「われわれが確認できた生存者の数は女性が5人、男性が3人の計8人だ。2人の女性は先ほど話した清津の施設にいる。男性3人と女性3人の計6人は、平壌北方30キロにある護衛総局第3局管理下の施設にいる。この施設には市川修一さんと斉藤裕さんがいる。あとの4人の名はわからない。命の危険があるから、そこまで調べるつもりはない」

 

 今回、元幹部が証言を公開することに同意したのは、北朝鮮に変化の兆しがあることと無縁ではない。飯島勲氏の訪朝をきっかけに、北朝鮮は安否不明者の再調査に応じるとの情報もある。一方で、「北朝鮮は帰国した5人を除く12人の拉致について、けっして認めるつもりがない」との情報もある。

 

「拉致被害者が生存しているという確かな証拠を突きつける、その意味でも今回の証言はたいへん重要であると私は考えています」(辺氏)

 

(週刊FLASH 2013年6月25日号)

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