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23歳で妻をリンチ死「連合赤軍」元幹部・吉野雅邦の慟哭を聞け!【獄中で綴った300ページの手記を独占初公開】

社会・政治 投稿日:2022.02.24 22:30FLASH編集部

23歳で妻をリンチ死「連合赤軍」元幹部・吉野雅邦の慟哭を聞け!【獄中で綴った300ページの手記を独占初公開】

大泉に届いた吉野の手紙

 

■【山へ】少し淋しげな雰囲気も感じられて、思わず抱きしめたい衝動に駆られました

 

 1970年12月18日、獄中の革命左派議長、川島豪(つよし)〈※6〉を奪還するための銃を奪おうと、東京・板橋区の上赤塚交番を、革命左派の柴野ら3人が襲った。警官は発砲し、柴野が死亡、2人が重傷を負った。

 

 この日は羽田闘争の公判日だった。坂口は、出廷せず地下潜行しようと提案した。逃走生活に入れば、金子と別離することになる。吉野は躊躇したが、押し切られた。

 

 坂口と吉野は、変装のためにパーマをかけることにした。

 

《「クマ」という仇名のむつけき男(注・坂口のこと)が急に天然パーマふうになって(中略)思わず笑ってしまいました。坂口も少し照れながら、「何だよ」と口をとがらせて抗議しておりました》

 

 栃木県真岡市の塚田銃砲店を、吉野ら6人が襲ったのは、1971年2月17日午前1時過ぎ。電報だと偽って出刃包丁で脅して押し入り、散弾銃10丁、空気銃1丁を奪った。

 

 6人のうち2人が逮捕され、自供。首謀者の永田、坂口と実行犯の吉野らは指名手配された。警察の捜査が広がるにつれて、群馬、新潟、札幌にまで逃げつづけた。

 

 5月末、彼らは奥多摩の小袖の廃屋をベースとした。6月、金子が小袖にやってきた。吉野とは半年ぶりの再会だ。

 

《それまで見たことのないアイ・シャドーを塗っていたようですが魅力的で、また少し淋しげな雰囲気も感じられて、思わず抱きしめたい衝動に駆られました》

 

 金子とともに、早岐(はいき)やす子〈※7〉が山に入った。早岐は吉野のことを「この人?」と金子に聞いた。金子が頷くと、早岐は「わぁ」と声を上げ、吉野に「よーく聞かされてきました」と、悪戯っぽく笑った。

 

《女性にそんな見つめられ方をされたことが全くない私は、大変気恥ずかしく思いましたが、二人の様子から、みちよが日頃から私のことを早岐さんに自慢げに話していて、早岐さんが実物の私を目の当たりにし、その通りだったと感じているのがわかり、悪い気はしませんでした》

 

 6月6日、バンガロー近くの鍾乳洞での銃の試射の最中に、向山茂徳〈※8〉が逃亡した。

 

 山梨県の塩山(えんざん)に移動し、さらに適地を探すための調査が始まった。その最中の7月10日ごろ、吉野と金子は廃屋となった小屋で2人きりになり、裸になって抱き合った。その最中に吉野は、ロウソクの灯りに群がる無数の蛾の激しい動きに目を奪われる。

 

《蛾に見惚れている間も、私は彼女に対する営みは続けていました。気付くと、彼女は蛾よりも激しい動きの中にあって、やがて両脚で宙を蹴り始めました。意識を戻された私はその振動によって急速に頂へと押し遣(や)られそうになり、いつものように切迫している意思表示をして、身を引き離そうとしました。

 

 その刹那です。彼女の両脚が私の身体を太腿で巻き付け、かつてない程の力で絡め取られ引きつけられました。私の全身を自分の内に取り込みつくそうとするかのような強い締め付けの中で、頭が白くなり私は爆(は)ぜました》

 

 このときに金子が受胎したことが、後になってわかる。

 

 翌朝、「体を洗おうか」と吉野が声をかけ、2人は裸で川に入った。7、8人の登山者が彼らを見つけて騒いだが、2人は水浴びを続けた。

 

( 週刊FLASH 2022年3月8日号 )

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