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小池百合子が狙う「石原ファミリー殺し」48年間の恩讐

社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2017.03.17 17:00 最終更新日:2017.03.17 17:00

小池百合子が狙う「石原ファミリー殺し」48年間の恩讐

『小池百合子の父・勇二郎氏の選挙公報』

 

「小池さんという人は、いってみればボルテージの高いつむじ風のような人物である。神出鬼没、まさしく戦国向きの人物である。画一化された人が多い当節、得難い魅力がある」

 

 これは昭和44(1969)年12月10日の毎日新聞紙上で、石原慎太郎元都知事(84)が小池百合子都知事(64)の父、勇二郎氏について語ったものだ。この前年、慎太郎氏と勇二郎氏は、ともに政治団体「日本の新しい世代の会」を旗揚げし、慎太郎氏は参院選に初めて立候補した。作家の大下英治氏が、当時の2人の関係を語る。

 

「慎太郎氏が立候補したとき、関西の選対で陣頭指揮を執っていたのが、勇二郎氏だったんです。勇二郎氏は慎太郎氏を支援していたというより、傾倒していましたね」

 

 選挙の結果、慎太郎氏は史上最高の301万票を集めて初当選。そして勇二郎氏は翌年、衆院選で旧兵庫2区に出馬した。このとき、慎太郎氏が語ったのが、冒頭の発言だ。

 

 貿易会社の社長だった勇二郎氏は、人生をかけたこの選挙で惨敗。その結果、事業が左前となり、芦屋市にあった邸宅を売り払うまでになった。兵庫県選出の元国会議員が振り返る。

 

「慎太郎さんの手配で、当時から側近だった浜渦武生さんや、後に参議院議員になった鴻池祥肇さんが、勇二郎さんの選挙を手伝っていました。しかし慎太郎さんの選挙区入りのような、直接の支援はなかったと記憶しています。当時、高校生だった百合子さんは、父親が一方的に入れあげてばかりの慎太郎さんに、複雑な気持ちがあったと思いますよ。小池家にとって、石原家は近いようで遠い存在なんです」

 

 小池一家はその後、東京に移り、都内のアパートで暮らし始める。百合子氏はカイロに留学し、アラビア語のスキルを手に入れて帰国。通訳からニュースキャスターへの道を歩み始めた。

 

■バクチ打ちの気質と慎重さを兼ね備えた都知事

 

 百合子氏が、日本新党から参議院選挙に初出馬したのは'92年。このとき、勇二郎氏はかつて自分を支援してくれた浜渦氏のもとを訪ね、百合子氏への応援を要請した。しかし浜渦氏は、それを拒否。

 

 浜渦氏は「(市場移転問題の)参考人招致まで個別の取材には答えない」として、本誌の取材には応じなかったが、昨年、雑誌で当時について「『私は百合ちゃんと心中するつもりはない。仲間だったら紹介しますよ』とお断りしました」(「週刊朝日」'16年10月28日号)と発言している。

 

 参議院議員として初当選した百合子氏だが、こうした軋轢が生じるうち、石原家との関係に一線を引くようになっていった。その代表的な出来事が'08年、福田康夫首相の退陣でおこなわれた自民党総裁選だ。

 

 このとき、百合子氏と、慎太郎氏の長男の伸晃氏がともに立候補を表明した。伸晃陣営は百合子陣営に一本化を要請したが、百合子氏が拒否したのだ。

 

「百合子さんが出馬表明したことで、過去最多の立候補者となり票が分散しました。結果的に麻生太郎さんが圧勝しましたが、慎太郎さんは『小池が出なければ息子の将来も変わっていた』と悔しがっていました」(前出の元国会議員)

 

 そして昨夏の都知事選で、石原家と小池家の「断絶」は決定的になった。自民党都連会長だった伸晃氏に反旗を翻し、百合子氏は都知事選に出馬。息子の顔に泥を塗られたかたちの慎太郎氏が、百合子氏を「大年増の厚化粧」と呼ぶ暴言騒動に発展した。
 

 

 48年に及ぶ恩讐の歴史は、つねに石原家が優位に立ってきた。しかし百合子氏が都知事となり、石原都政の負の遺産と対峙することで、大きく潮目が変わった。都議会の特別委員会は、慎太郎氏と浜渦氏の参考人招致を決定。権限がさらに強く、罰則のある百条委員会の設置も決まった。

 

「百合子氏の父は、いわばバクチ打ちでした。百合子氏もその気質を受け継いでいますが、父の失敗を見ているので、そのうえに慎重さが備わっています」(前出・大下氏)

 

「石原ブランド」とまでいわれた名家は、「ゆうじろう」の娘の手によって、崩壊の危機にある。

(週刊FLASH 2017年2月28日号)

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