多彩なキャラクターが織りなす人間模様はフィクションとして十分楽しめるが、歴史好きの視聴者からは「史実と違うのでは?」とツッコむ声が数多く聞こえてくる。
そこで本誌は、ベストセラー『応仁の乱』、そしてドラマの主人公たちを論じた『頼朝と義時』の著者で、日本中世史研究者の呉座勇一氏に、あえて「ここが喝!」とツッコミどころを挙げてもらった。
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呉座氏は当初、今回のドラマの時代考証を務めるはずだったが、ネット上での発言が波紋を呼んで降板した人物だ。
■頼朝と義時が出会う描写はウソ
毎回、放送を見ている呉座氏には、第一話から微妙な “違和感” があったという。
「頼朝(大泉洋)と義時(小栗旬)の最初の出会いがコミカルに描かれていましたが、そもそも2人の出会いを記録した史料は存在しません。ドラマでの描写は完全なフィクション。実際には、年少の義時はもっと頼朝に敬意を払ったと思いますが、ドラマではあえてコメディ調にしたのでしょう」(呉座氏・以下同)
■八重が実在したかどうかは不明
流罪となった頼朝が八重(新垣結衣)と恋仲になることにも疑問符がつくという。
「八重は『曽我物語』などの軍記物には登場するのですが、史書である『吾妻鏡』によれば、頼朝が最初に結婚した相手は北条政子(小池栄子)です。
じつは八重が実在していたことを示す確実な史料はないのです。史実どおりなら、新垣結衣さんはドラマに登場しなかったかもしれません」
■武家政権を築く志はなかった
北条宗時(片岡愛之助)ら、坂東武士が「俺たちの独立国を作ろう」と気炎を上げるシーンがあったが、これも史実とは異なるようだ。
「実際は、平家と平家に与して威張っている武士たちが目障りというレベルの話でしょう。
ドラマでは宗時たちは、京都から独立して関東に武家政権を作るために頼朝を神輿として担ぎ出しますが、そんな明確なビジョンはなかったというのが、最近の学説です。政権樹立の大志があったことにして、ストーリーを盛り上げたかったのでしょう」
■20年間「打倒平氏」を思い続けるのは無理
頼朝は以仁王(木村昴)の令旨を得て奮起したように描かれるが、実際はすぐには乗り気にならなかったという。
「史実では、令旨を受け取ってから挙兵までの期間が空きすぎているのです。政子と結婚して幸せな生活を送っていた頼朝にとって、以仁王の命令はいい迷惑だったはず。
また、伊豆での20年間、打倒平家を心の中で誓っていたという設定ですが、本気ならもっと早く動くでしょう。その間、何をしていたんだと(笑)」
■挙兵は清盛に討たれるという勘違いから
いざ挙兵するシーンも、史実とは異なるという。
「頼朝は、結果的に武士の時代を切り開いたわけですが、挙兵段階では武家政権を作るという意識はまったくなかった。
平清盛(松平健)に監禁されていた後白河法皇(西田敏行)を救出して、院政を復活させることが挙兵の目的とされていますが、それすら後づけの理屈だと思います。
決起を促した以仁王が討たれ、源頼政(品川徹)が敗れ、さらに清盛が諸国の源氏を討とうとしているという誤った情報が入ってきて、それを事実と勘違いして頼朝は一か八か挙兵を決断したのです。逃げるか戦うかという状況に追い込まれた結果です」