社会・政治
王将社長 血尿出すほど奮闘し「負債470億からのV字回復」
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2013.12.25 07:00 最終更新日:2016.03.01 21:49
12月19日早朝、『餃子の王将』を経営する王将フードサービスの大東隆行社長(享年72)が、本社に出勤してきたところを突然銃撃され、不慮の死を遂げた。
大東氏が、義兄で創業者の故・加藤朝雄氏が運営する『王将』で働きはじめたのは46年前のこと。京都・四条大宮に1号店を開店したころについて、3年前の本誌の取材で大東氏はこう語っていた。
「当時、『珉珉』という非常に強い店舗があり、『餃子の王将』は苦戦の連続でした。創業者が中心になって何回も試食を繰り返して餃子開発を進め、試行錯誤しながら『珉珉』の餃子より大きめの餃子を作り出した。外側はパリッと焼いて、食べるとジューと汁が広がるのがおいしい。けれど餃子は生き物。鉄板の熱さ、火加減、水のかけ具合など非常に難しい料理なんです」
当時は餃子の看板を掲げながらも、実態は中華居酒屋。4店舗めを出店したころ、客離れや料理人の離反などがあって、倒産の危機に直面したという。
「そのとき創業者が打ち出したのが、料理人や従業員に対する成果配分を重視するという考え。店が潰れるよりましだと、利益が出たらそのぶん分け前を増やすと宣言したんです。これが現場のやる気を喚起し、店に客を引き寄せる熱気となった。さらに’71年に6号店を開店したところ、先代が餃子の無料券配布や、10人前食べたらタダといった業界初のサービスを発案したんです。これが当たって、店の前には長い行列ができました」(大東氏)
その後、順調に店舗数を増やしていったが、バブル期に不動産への過剰投資などが災いし、470億円もの有利子負債を抱え経営難に悩まされる。そこで’00年、大東氏が再建の切り札として、4代目社長に抜擢された。大東氏をよく知るジャーナリストの中村芳平氏は彼の手腕をこう評価する。
「大東氏は可能な限りの資産売却と不採算店の閉鎖など徹底的な合理化を進めた。当時、大東氏は『血のションベンが出た』と言っていたほど。さらに餃子への回帰を打ち出し、ついに会社を再建させたんです。彼が社長に就任してわずか2年で黒字に転化。その後、10年連続で右肩上がりを続け、経常利益100億円を実現したんです」
現在、全国に約680店舗を要する企業に成長させたことについて、大東氏は次のように述懐していた。
「再建するうえで心がけたのは、ナンバーワン戦略ではなく、“オンリーワン戦略”に徹してきたこと。そして店舗同士を競わせながら育ててきたことで、どこに出しても通用する人材、幹部が育ってきました。もちろん課題はまだありますが、『餃子の王将』は大衆中華料理店としてひとつの完成型に近づきつつあると思います。ライバルはあえて言えば『餃子の王将』」
だが最近は、材料費の高騰などを受けて、連結営業利益は3年連続で減少。まさに巻き返しを模索している最中の悲劇だった。事件当日、株価が大幅下落するなど、カリスマ経営者を失ったことは、予想以上の痛手となった。
(週刊FLASH 2013年1月7・14日号)