『中等科での授業風景。ヴァイニング夫人のすぐ左が明仁親王(写真提供・橋本明氏)』
「あなたの名前はジミーです」
「いいえ、私はプリンス(皇太子)です」
「そうです。あなたは明仁親王です。けれども、このクラスではあなたの名前はジミーです」
昭和21(1946)年、学習院中等科に英語教師として招かれたヴァイニング夫人と、当時、中等科1年だった明仁親王(今上天皇)の授業は、こんなやり取りから始まった。
「明仁の教育にアメリカ人教育者をつけたい」
昭和天皇の言葉が、ヴァイニング夫人招聘のきっかけとなった。
当時の宮内大臣・松平慶民も「明仁親王殿下のために、今までよりもっと広い世界の見える窓を開いていただきたい」と、夫人に依頼している。
英語の授業だけでなく、ヴァイニング夫人は陛下の家庭教師も務めた。後に「象徴天皇」となられる陛下の、心の「窓」を開いたのが夫人だった。
だが、当時の生徒たちにとっては、外国人教師との出会い自体、想像を超える体験だったという。陛下の同級生だった、小山敦司氏が明かす。
「女性の教師、それも外国人の先生ですから、びっくりしました。授業はすべて英語です。とくに、私は疎開していて1年遅れで入ったので、ヴァイニング先生の授業では、指されないよう顔を上げないで、『嵐』が過ぎるのを待っていましたね」
米国ペンシルベニア州生まれのエリザベス・ジャネット・グレイ・ヴァイニングは、敬虔なクエーカー教徒だった。クエーカー教はキリスト教の一派で「質素・誠実・平等」を旨とし、平和主義を掲げる。夫人は授業では、自らの信仰を押しつけないよう配慮していたというが、根底には、その精神が貫かれていた。
「先生は『人間はみんな平等』だと始終、おっしゃっていました。ほかの生徒たちにも英語名をつけ、殿下を『ジミー』と呼んだのも、平等の考えからだったと思います。優等生も劣等生も分け隔てなく可愛がっていました」
こう振り返るのは、やはり同級生だった鈴木琢二氏だ。鈴木氏は、ヴァイニング夫人に叱られたことがある。
「夏休みをどう過ごしたか、5分くらいで発表したことがあったんです。私は、田舎に行って空気銃で小鳥を撃った話をしたんですが、『二度と小鳥をいじめてはなりません』と、こんこんと諭されました。クエーカー教徒は殺生をいちばん戒めるんです」
徹底した平和主義だけでなく、陛下の心になにより刻まれた教えは「平等」の観念だった。
「馬術の対抗戦をやっていた学校のOBが『学習院のようないい馬がいないから、うちの学校は勝ったことがない』と陛下(馬術部OB)に申し上げたんです。
それを聞き、陛下はとても怒られました。『両方とも試合ではよそから調達した馬に乗っているんだから、公平じゃないか』と。これほど公平・平等を気にされるのも、ヴァイニング夫人の教えから来ているのでしょう」(鈴木氏)
陛下の同級生の一人、明石元紹氏が、今の陛下からも感じられるヴァイニング夫人の教えについて語る。
「陛下は、お言葉の原稿などすべてご自身でお考えになります。夫人は、人はロボットではない、自分の意思を持ち、それに従い行動せよと語ってきた。陛下はそれを今も実践されています」
昭和25年10月、帰国するヴァイニング夫人は学習院最後の授業で黒板にこう書いた。
「Think for yourself!(自分で考えよ!)」
やはり陛下の同級生だった橋本明氏が振り返る。
「『自分で考える』。この言葉が、陛下の血肉になっていったのだと思います」
全身全霊で「象徴天皇」の在り方を、ご自身の使命として考えてこられた陛下。その原点のひとつが、キリスト教の精神にあった。
(週刊FLASH 2017年3月7日号)