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高野之夫・豊島区長と指定暴力団「極東会」五代目の“握手2ショット”! 内縁の妻は「区体協」要職に
社会・政治FLASH編集部
記事投稿日:2022.05.24 06:00 最終更新日:2022.05.24 06:00
「“姐さん”は、通夜と告別式には警察や報道陣がいたので参列しませんでしたが、火葬場に現われると、遺骨を抱いて帰っていったんです。まるで、喪主のような堂々とした振舞いでしたよ」
東京・歌舞伎町に本部を置く指定暴力団、極東会のトップ・松山眞一五代目(享年94)が死去したのは5月7日のこと。その葬儀は豊島区にある寺院で、15日と16日に執りおこなわれた。葬儀に先立つ弔問には、六代目山口組の高山清司若頭(74、「高」は正確には「はしごだか」)を筆頭に、全国の団体のトップが参集した。
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「極東会は、的屋系としては唯一の指定暴力団で、松山五代目にはカリスマ性がありました。全国の組織のトップで、松山五代目より古い人はおらず、まさに的屋系の最後の重鎮です。1990年に極東会会長に就任し、2015年に退くまでの25年間会長職を務めましたが、それ以降も、実質的なトップは松山五代目だと警察はみていました。
葬儀がおこなわれたのは池袋でしたが、これは以前、池袋に極東会の事務所があり、松山五代目がこの地をこよなく愛していたからでしょう」(社会部記者)
じつはそんな松山五代目には、長年連れ添った内縁の妻がいた。それが組員から“姐さん”と呼ばれている、冒頭の女性・Aさんだ。前出の暴力団関係者が語る。
「30年ほど前に、豊島区内の飲食店で働いていたAさんを松山五代目が見初めたのが関係の始まりでした。松山五代目がお金を出してAさんのお店を開き、また正妻が20年ほど前に亡くなったこともあり、以降はAさんが内縁の妻という立場で、松山五代目の終の住まいも、Aさんのマンションでした。松山五代目は、毎月集まる上納金の多くをAさんに渡していたようです」
現在でも豊島区内でスナックを営むAさん。そんな彼女は地元・豊島区で、とある重要なポストに就いているという。ある豊島区議が語る。
「Aさんは、NPO法人豊島区体育協会の副会長・専務理事を務めています。2018年には豊島区体育協会の70周年記念式典がおこなわれ、小池百合子都知事も祝辞を述べました。Aさんが副会長に就任したのは2012年なので、協会には10年以上関わっています」
指定暴力団会長の内縁の妻が、豊島区の公的団体の要職に就いているとはにわかに信じがたい話だが、当の豊島区体育協会に問い合わせると、以下の回答があった。
「Aさんは本協会副会長・専務理事ですが、Aさんがどのような方と交流されているかいなかについてはわかりませんので、本協会としてはお答えする立場にはありません」
元体育協会職員で、五輪アナリストの春日良一氏は、この回答に疑問を呈する。
「豊島区の体育協会はNPO法人ですが、東京都体育協会に加盟する公的団体。その要職に就く人の交友関係は、当然問われるべきでしょう」
民事介入暴力問題に詳しい林康弘弁護士も「内縁関係でも、密接交際者にあたる場合はあります。体育協会のような公的機関には、暴力団関係者や密接交際者は役員に就いてはいけないという内規や役員の誓約書があるはず。そうした反社事項にかかる規定がないなら、そのほうが問題です」と断じた。
だが、豊島区の問題はこれだけではない。松山五代目自身も、豊島区と深い関係にあったことがわかっている。
ここに1枚の写真がある。写真右側の男性は松山五代目。そして松山五代目とがっちり握手を交わすのは、現職の高野之夫豊島区長(84)だ。高野区長は、1983年に豊島区議に当選。その後、10年間の都議会議員時代を経て、1999年に豊島区長となった。前出の暴力団関係者が語る。
「松山五代目はもともと、ある国会議員の後援会に入っていました。その議員の依頼で、高野区長の初当選時から応援してきたのです。選挙や地域の行事など、事あるごとに区長を支援してきました。以前は区長本人からお礼の電話がありましたが、コンプライアンス上問題があるということで、区長の奥さんから電話が来ることもありました」
別の暴力団関係者によると、写真は8年ほど前に撮られたものだという。
「区のイベントの後に催された宴会に松山五代目が出席し、同席していた高野区長と撮った写真です。松山五代目から、高野区長のことはよく聞いていましたよ」
“密”すぎる豊島区政と松山五代目らの関わり。区長と指定暴力団トップの蜜月について豊島区広報課に見解を求めると、「亡くなった松山眞一という人物が、指定暴力団の元会長であったことは承知しておりますが、その人物との交際はありません」との回答だった。
2012年、当時法務大臣に就任したばかりの故・田中慶秋氏が、「週刊新潮」に暴力団関係者との交際を報じられ、辞任に追いこまれている。暴力団に詳しいジャーナリストの溝口敦氏は「的屋系の団体は博打系の団体より、地域に許容されてきた歴史がある。とはいえ、現代ではほかの暴力団と同じ。区長が松山五代目と写真を撮っているのは、一線を越えていて脇が甘いといわざるを得ません」と語った。
23年もの長期政権の闇は深いーー。