アメリカ凶悪犯罪の専門家である阿部憲仁氏が、伝説の大量殺人犯に会いに行く!
【事件概要】リチャード・ファーリー(Richard Farley、1948年7月25日~)
勤務先の女性ローラ・ブラックに好意を寄せていたリチャードは、その思いが受け入れられず、逆に、彼女から上司に告げ口されてしまう。そのことで解雇されたことに腹を立て、銃とライフルで完全武装して会社に乗り込み、7名を射殺、4名に重傷を負わせた。死刑判決を受け、現在、サンクエントゥン刑務所の死刑囚棟で服役中。大量殺人の先駆けとして有名な事件である。
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1993年に公開された『ストーカー異常性愛』という映画がある。主演のブルック・シールズは、文字通りストーカーに苦しむ女性を演じている。この加害者のモデルとなったのが、今日、これから会いに行くリチャード・ファーリーである。
私が面会室に入ると、そこには銀縁のメガネをかけた60歳くらいの白人男性がテーブルの向こう側に腰かけていた。ガッシリとしているが、髭はきれいに剃られており、一見、どこかの会社の部長といった印象を受けた。
死刑囚を前に何から話せばいいか悩んでいると、リチャードが私の後ろの死刑囚に挨拶しているのがわかる。それで「ここで面会している人たちは、だいたいみんな知っているの?」と尋ねた。「あの人間とそこにいる彼は知ってるよ」と答える。
必ずしも全員知っているわけではなさそうだ。4000人弱を収容しているこの刑務所には、死刑囚だけで700人以上いるらしい。日本の府中刑務所の収容者数が大体2700だから、かなり大型の施設と考えていい。
ーー住んでいる環境はどうなの?
「いま自分がいるブロックは、年配のおとなしい人間ばかりだから静かで過ごしやすいよ。たまに変な奴が入ってくるけど、そういう人間は周りから浮いちゃって、結局は他のブロックに移されちゃうからね」
サンクエントゥンの死刑囚は精神に変調をきたしてしまう人間が多く、食事を手渡すCO(監視)に糞尿を投げつけたりするケースがあるとの記事を読んだことがある。700人の中にはそういう人間もいるのだろうが、リチャードの話からすると、ほとんどは極力トラブルを避ける年配者たちで、まるで養老施設といった感を受ける。
ーー7人も殺したけど、夜、悪夢とか見たりするの?
「悪夢を見ることはないな。ここに来たときから気持ちの整理はついているからね。ここにいれば食事や寝る場所にも困らないから、無料の老人ホームみたいなものさ。今も控訴中だけど、裁判が終わって死刑になる前に、きっと自分は死んじゃうし。もしそのときまで生きてたとしても、僕は糖尿病でインシュリン注射を打ってるからね。具合が悪くなって、自分で動けなくなるなら、殺してもらった方が楽だよね」
リチャードは淡々と答えた。ストーカー殺人を犯しているのに、「執着」や「粘着」といった言葉とはまったくかけ離れているのだ。私はどう質問を続ければいいのか困ってしまった。だが、リチャードが「ここ20数年で、弁護士以外に僕を訪ねてきたのは君だけだ」と話してくれたので、私はちょっと気が楽になり、手紙では聞けなかったことを聞いてみた。
ーーネットでは君のことをストーカー扱いしてたけど。特に、あの映画は完全にそんな感じだけど。
「っていうか、正直言って、俺はストーカーだったからね」
ーーそれは認めるんだ。じゃ、あの事件って実際はどんな感じだったの?
「最初、彼女が入社してきたときはかわいいと思って好意を寄せたんだけど、だんだん彼女が社内のいろんな奴と寝ては、自分のやりたいことを実現させてることがわかったんだ。だから、途中から彼女を『正して』やろうと思ってね。そしたら、逆に彼女が俺のことをいろんな奴にチクリはじめて。そのうち、裁判所から彼女の何メートル以内に近づいてはいけないみたいな命令が出されたんだ。最終的には俺が全部悪い形で、システムエンジニアの仕事を首になった」
客観的に見れば、他人に干渉し過ぎたということになるのだろう。ただ、こうしたストーカー体質というのは、簡単に出来上がるものではない。
ーーこの事件の前に、似たようなことをしてないの?
「特にないけど。いま覚えているのは、事件を起こす何日か前、俺が会社の駐車場に車を停めて中に座っているとき、あの女の味方の男がヒーロー気取りで車までやって来たことがあったんだ。もうそのときは事件を起こすと決めていたからね。でも、たまたま車の窓が閉まっていてね。ガラスをノックされたけど俺は開けなかった。でもあのとき、もしあいつがドアを開けたら、俺は隠していた銃で撃つつもりだった。あいつはホント運がよかったよ」
ーーそれじゃ、子供の頃、どういう家庭環境だったか教えてくれる?
「父親が軍に勤めてたから、子供の頃は引っ越しが多くてね。ちょっと友達と仲よくなるとすぐまた転校の繰り返しでね。途中から慣れっこになって、あまり周囲に執着しないようなスタイルが自然と身についたんだ。弟が生まれる前とかは、よく一人で遊んでいたよ。母親はそれで俺が満足していると思ってたみたいだけど」
リチャードの心には、子供の頃、ネグレクトされたという気持ちがあるようだ。人と深い関係を構築できず、精神的に孤独な幼少期だったのだろう。
ーー6人兄弟の長男だよね?
「下の弟2人とは小さい頃からあんまり仲よくなかったよ。よく弟たちをいじめたな。もっとも俺に言わせれば、弟たちを正しく導いてやろうという親心だったんだけど。なにしろ、タバコを買うために母親から金を盗んだりしてたからね。すぐ下の弟は、その後、麻薬に走って少年院に入っちゃったし。なんで薬なんかやるのか俺にはまったくわかんないよ」
リチャードの母親は金を盗まれても放置していた。要はネグレクトである。では父親はどういう人物だったのか。
「父親は、軍を辞めてから、俺の通う高校で用務員になったんだけど、俺は年頃だったから、それがとても恥ずかしくてね」
ーーお父さんと楽しい思い出はあるの?
「家のガレージで、2人して黙々と車のエンジンを組み立て直したことが数少ない思い出かな。父親は学校の掃除をするのが仕事なのに、家ではガラクタばかり集めて、まったく片付けなんかしないんだ」
バージニア工科大学で自分を含め33名を射殺し、24名を負傷させた大量殺人犯ソン-ヒュイ・チョーの父親も寡黙で、人との交流が苦手だったと文献で読んだことがあるが、リチャードの父親もそれと似たようなタイプだったようだ。母親はネグレクトで、父親は自分だけの世界に入り込んでしまう。子供はとりつく島もない。
仮に、人間に10のエネルギーがあるとしよう。通常の子供は、その10のエネルギーのほとんどを親や兄弟、友達といった他者とのコミュニケーションに費やす。しかし、そうした他者との交流に恵まれない子供は、そのエネルギーを他の形で消化しなければならない。リチャードのような幼少期を過ごした人間は、エネルギーの多くをコミュニケーション以外の個人的活動に費やさなければならないのだ。
そのため、映画『レインマン』でダスティン・ホフマンが演じたように、計算や絵がきわめて得意だったり、機械やゲーム、マンガなど、ある特定の物事に執着してしまう人間が多くなる。
リチャードと話しながら、ふと彼が私に書いてきた手紙の内容を思い出した。そこには日頃ハマっているパズルで、ひとつだけどうしても解けない問題があり、寝ても覚めてもそのことが頭から離れず、そろそろその状態から抜け出さないと危ない、といったことが書いてあった。
まさに執着型の人間だ。
そうこうするうち、面会時間が終わりになった。隣の面会室にいたリチャードの友人が、食べきれなかったイチゴを鉄格子越しに譲ってくれた。リチャードはそれを食べ終わると、「日本まで気を付けて帰って」と言い、こちらを振り返ることなく舎房へ戻っていった。子供の頃から人と別れることに慣れっこだと話していた通りだ。
親からネグレクトされたリチャードは、弟に執着し「正しすぎた」結果、弟たちは薬物や非行に走ってしまったといえる。同じように、ストーカー相手のことも自分が「正して」やろうと思ったのだ。だが、それ以外の人間にはなんの関心もなく、淡々とした思いしかない。そして、リチャードは自分自身の人生に対しても、淡々とした思いしかもっていない。だからこそ、刑務所が「無料の老人ホーム」という心安まる場所になってしまったのだ。
(2016年3月6日訪問)